地獄蝶々



CHAPTER.01

『不死ナル姫』







「あんた――」
 斃れた異形が本当に動かないのを確認しながら、カイは、恐る恐る少女に声をかけた。
「いったい、なんで平気なんだ?」
 すると彼女は、ぐい、と袖口で涙を拭い、こちらを見つめてきた。向けられた真紅の瞳の儚さに、カイは不思議な印象を抱いた。
 目の前にいる少女は、豪胆でもなければ剛毅でもなく、超然ともしていなければ、飄然ともしていなかった。
 なんら特別なところはなく、ただ、そこにいた。
 彼女は確かに、硬く鋭い決意を秘めていた。だが、同時に、脆く、弱々しくもあった。さながら、水晶の剣だった。幾度となく叩き折られながらも、その鋭さを失わぬような。
 呑まれそうになって、カイは、軽く頭を振った。視線が、倒れた異形の怪物へと向く。そいつは、全身からじゅうじゅうと白煙を噴き上げ、謎の――考えたくもない――紫色の液体へと変じつつあった。
「いや――あいつは、何者なんだ? それに、あんたも……」
「私は……不死なる彼らを葬る者です」
 水晶の響きで、少女は言った。消え入りそうな、しかし確かな声色だった。
「私の役目は、彼らを葬ること。ここに来たのも、彼らの気配を感じてのことです」
「……なるほどな」
 カイは、なんとかうなずいた。彼女の言葉を、たわけた妄想だと切り捨てることができれば、どんなに良かったろう。だが、少年はすでに知ってしまっている。不死なる異形の怪物が実在することを――彼女がそれすら打ち倒したことを。
 そして、
「オレ、奴らが集まる場所を知ってる」
 その事実を告げると、少女が驚きの顔をした。その表情が、予想外にあどけなく――愛らしく――見えたので、カイは一瞬、どきりとした。
「もともとオレは、あいつらを倒そうと思って、ここで張ってたんだ」
 なるほど、とうなずくと、少女は、上目遣いにじっと見つめてきた。
「その場所を、教えていただけますか?」
 思わず縦に振りそうになった首を、カイは辛うじて動かさずに保った。いくらなんでも、あんな地獄にこの少女ひとりを送り込むわけにはいかない。
「一度、村に戻ってみんなと相談したい。ついてきてくれ――そして、教えてくれ。あいつらが、何者なのかを。あんたが、どうしてあいつらを狩っているのかを」
 少し考えてから、少女は再びうなずいた。その拍子に頭がもげてしまわないかと不安になるほど、彼女の首は白く、細かった。



 しばらく後、ふたりの姿は村の酒場の中心にあった。
 村長に頼んで、主だった大人たちを集めてもらったのだ。広い酒場に人がひしめいている。主人が出してくれた料理に手を出す者もあれば、何を勘違いしたのか、酒を飲み出す者もあった。彼らの態度が、カイの話に対する姿勢を一様に物語っていると言えた。
 それでも集まってくれたのは、カイが、見知らぬ――それも、ひどく垢抜けて美しい少女を連れてきたからだ。つまり、ここにいる連中のほとんどは、物見高さで集まってきたのだ。
 それでも、と、カイは一縷の望みを抱いていた。自分が見たことを、そして彼女の素性を聞けば、頭の固い大人たちも、考えを改めてくれるのではないかと。
 村長を初めとする、村の主要人物が集まったのを確認して、カイは、隣の少女――クロアゲハと名乗った――に声をかけた。
「始めてくれ――クロアゲハ」
 はい、とひとつ返事をして、
 彼女は、自らの物語を話し始めた。

 彼女は、ある領国を治める領王の娘――すなわち、領姫であった。
 小さな国ではあったが、風光明媚で、産業もそれなりに豊かだった。近隣の国々とも親交が深く、長きに渡る穏やかな平和を享受していた。
 ただ、ひとつだけ問題があった。
 領姫の身体が生まれつき弱く、医師からは長いこと生きられないだろうと匙を投げられていたのだ。
 人々は領姫の境遇を悲しみ、さまざまな薬やまじないを紹介したが、とんと効果はなかった。領姫の容態は悪化するばかりで、誰もがそれを諦めつつあった。
 だが、領王だけは違った。
 早くに妻を亡くし、他に子を持たぬ彼は、愛する娘を救おうと、血眼になってそのすべを探し求めた。
 そして――見つけた。
 禁忌とされる、古の呪法――すなわち、死術を。
 それは、死者の魂に干渉することで、彼らを操ったり、生者の力を増大させたりするという、人が手を染めるべからざる呪法だった。だが、愛する娘を救うという大義名分を前に、禁忌の諭しは何の効果も持たなかった――領王は、躍起になって死術の習得に努めた。
 そして――ついに、不老不死の呪法を完成させた。
 そのために、どれほどの財が失われたかは定かではない。不老不死などという夢物語を現実にするのだから、それこそ国が傾くほどの費用がかかっていたとしても、おかしくはなかった。
 領王は、秘術を実行に移した。
 人に不死性を与える、死術の炎を燃え盛らせたのである。
 炎は燃えた。燃えすぎるほどに。
 燃えて、燃えて――そして、すべてを呑み込んだ。
 王都全域が、蒼い炎に包まれた。
 屋内外の別なく、あらゆる領民が炎に焼かれた。哀れな彼らの肉体は、みるみるうちに焼けただれ、それどころか、人ならざるおぞましい形状へと変質し始めた――
 端的に言えば、異形の怪物と化した。
 彼らは確かに不死を得た。だが、その代償として、あるべき姿と確かな知性を失ったのだ。
 そんな不死なる異形の怪物たちがひしめく王都に、ひとりだけ、変わらぬ容姿と正気を備えた者の姿があった。
 秘術を受けた、領姫その人である。
 秘術は、確かに成功していた。蒼い炎に全身を焼かれた領姫は、永遠の寿命と、不死なる身体を手に入れていた。
 異形の宴の只中で、彼女は目覚め――すべてを知った。
 父を含め、領都のあらゆる人間が怪物と成り果ててしまったことを。
 それが、自分のせいに他ならないことを。
 自分は、死を以って償うことすらできないことを。
 そして、悲劇がそれだけでは終わらないということをも、彼女は知った。
 不死者たちは、クロアゲハを襲ってきたのだ。
 彼らの目的は、殺戮衝動によるものでもなければ、飢えを満たすためでもなかった。
 血を――確かな生命の温もりを欲していたのだ。
 このまま放っておけば、他の生者をも手にかけようとするだろう。
 そう悟って――少女は、決意せざるを得なかった。
 自ら剣を執り、戦うことを。
 臣民たちから、人々を守ることを。
 その想いに、一振りの剣が応えた。
 魔剣《擬するもの》――死術の結晶たる万能の剣である。父王が、研究の成果として手に入れ、秘術の媒介としたものだった。
 それを手に、少女は異形の怪物たちへと戦いを挑んだ。
 もちろん、うまく行くわけがなかった。
 剣など握ったこともない少女が、不死なる異形の怪物たちに、かなうはずもなかった。
 しかし、少女は不死だった。幾度その命を奪われようとも、立ち上がり、立ち向かい続けることができた。
 何度となく、戦いを挑んだ。
 何度となく、命を落とした。
 それでも、諦めることなく立ち向かい続け――やがて。
 彼女は、怪物たちと互角以上に渡り合うだけの、剣の技量を身に着けた。
 そして、戦いの果てに、彼らが完全なる不死者ではないことを突き止めた。
 彼らの身体のどこかには、不死ならざる部分がある。蒼い炎に焼かれなかった一部分――そこさえ突けば、彼らは倒せる。戦いのなかで、弱点を見つけ、それにふさわしい武器による一撃を与えれば、殺すことが可能なのだ。
 ただ、そのために、どれほどの武技の腕が要求されるかは、語るまでもないだろう。
 少女は、手当たり次第に怪物たちを仕留めていった。
 父王を初めとする、領都にはびこる不死者たちを、長い時間をかけて、ひたすら葬り尽くしていった。
 そして――領都の不死者を葬りきったところで、外に出た不死者を追う旅に出たのだ。……

 少女が語り終えると、場は、しん、と静まり返った。
 空気という空気が、深く、重く、沈み込んだようだった。
「私が不死者を葬るのは、そのためです」
 小鳥のさえずるように、クロアゲハは告げた。
 想像を絶するほどの悲惨な過去と覚悟とに、カイは凍りつき、言葉も出ない状態だった。彼女が実際に不死者と戦い、命を落としながらもこれを撃ち倒すところを目の当たりにしていなければ、到底信じられなかったかもしれない。
「……ハ」
 乾いた笑いが、静寂を打ち破る。
 村人のひとりが、引きつった顔で上げた声だった。
「何の話かと思えば……そんな与太話、信じるとでも思ってんのか?」
「本当だ!」
 カイは、少女をかばうように前に出た。
「オレは、刺しても斬っても死なない怪物を、クロアゲハが倒すところを見た! 今の話は、初めて聞いたけど……でも、本当だと思う。実際、この近くには、その怪物が集まっているところがあるんだ!」
「信じられるわけねえだろ、バーカ!」
 その村人は、けらけらと笑った。無理に笑おうとしているのが、傍目にも明らかだった。ただ担いでいるだけと思うには、少女の話は荒唐無稽に過ぎた。信じられないのではなく、信じたくないのだと、明らかにわかった。
「だいたい、その話が本当だってんならよ。姉ちゃん、ちょいと死んでみせろよ。そしたら信じてやるぜ!」
 その言葉に、何人かの村人が、おお、とうなずいた。その手があったか、という顔だった。
 途端に、「そうだ!」という声が、あちこちで上がった。「死ね!」「死んでみろ!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」「死ね!」……
「……おまえら……!」
 あちこちから向けられる揶揄と嘲笑の響きに、カイは、拳を硬く握り締めた。その背後で、足音がした。思わずそちらを振り返ると、クロアゲハが、無表情に酒場の外へと足を進めていた。
 不気味なものを見る目をした人々が、自ずと道を開く――割れた道筋を、クロアゲハはすたすたと歩いていった。
 扉を開け、外に出る彼女を、カイは慌てて追った。
「おい、ちょっと待てよ!」
 少女の横に並び、声をかける。
「もうちょっと話したら、あいつらもわかってくれるって! 数がいないと、話にもならないんだし……」
 言いながら、自分でも、そんなはずがない、という気になっていた。どれだけ言葉を連ねたところで、村人たちが納得することはないだろう。彼らが納得するとすれば、そう、例えば――
「どのみち、彼らが増えたところで、対抗力にはなりません」
 憂いを帯びたまなざしで、クロアゲハは、首を横に振る。
「それに――たとえ私が死んでみせても、彼らは協力してくれないでしょう」
 心のなかを読まれたようで、カイは、思わず押し黙った。
 クロアゲハの口調は、わかりきったことを話すようなものだった――錆びついた痛みに満ちていた。おそらく、経験があるのだ。実際にそうしてみせた経験が。その結果、彼女に何が起こったかは、想像するまでもないことだった。少年は、ただ押し黙るしかなかった。
 加えて言うなら――村人たちが自分の話を信じてくれないだろうと、彼女は、初めからわかっていたのだ。それでも、過去を話してくれたのは、そうしなければ、カイが怪物の集まる場所≠ノついて、彼女に教えようとしなかったからだ。カイとしては、村人たちの協力を仰ぐことで、クロアゲハの負担を減らせればという一心だったのだが――結果として、ただ彼女の心の傷を抉るだけに終わってしまったのかもしれない。そう思うと、後悔のあまり、胸の奥が焼けつきそうだった。
 ふと、クロアゲハが足を止めた。
 目の前に、人影が現れていたのだ。カイも慌てて停止し、意外な人物の出現に、眉をひそめた。
「……ゾフィー?」
 カイの、幼馴染みと言える少女だった。
 機織りの家に生まれ、その技術を受け継いでいる。クロアゲハのそれにも見劣りせぬような長く美しい金髪と、くりくりとした大きな碧眼が魅力的で、少年たちの間では、誰が彼女の心を射止めるかが、常に話題になっていた。カイもまた、あわよくば……と思っている者のひとりだ。同世代の少年たちのなかでは、特に彼女と仲がいい、という自負もある。
 彼女は、どこか怯えたような表情で、こちらを見つめて来ていた。
「本気なの?」
 ゾフィーが、半ば震える声で問う。
「本気で、怪物相手に立ち回ろうっていうの?」
 こちらの身を案じての言葉だと如実にわかる、不安に満ちた語調だった。
 彼女は――彼女だけは、カイの言うことを信じてくれたのだ。熱い思いがこみ上げ、胸がじんとなった。だが、そうと知られるのは、とても気恥ずかしいことだった。
「ああ」
 あえてぶっきらぼうに、カイは答えた。
「……妖精の輪≠セ。そこに、連中はいる――誰かが、クロアゲハを案内してやらなくちゃならない」
「そんなの、大人に任せれば――」
「聞いてただろ、さっきのをさ」
 カイは、ひらひらと右手を振った。
「あいつら、信じようともしないで、勝手なことばかり言って! 頼まれてなんて、くれやしないさ。オレが、最初に怪物の話をしたときだって、信じてくれなかったんだ」
「でも――」
「だいじょうぶだ」
 強がって、カイは、ゾフィーの頭に手を置いた。心配そうに見つめてくる彼女に、不敵な笑みを浮かべてみせる。
「伊達に狩人なんかやってないんだ。いざとなったら、木でも伝って逃げてやるさ」
 なおも言い募ろうとしたゾフィーをかわして、少年は歩き出した。言葉を発しかけた少女は、無為と知り、静かにそれを呑み込んだ。
「……いいのですか?」
 歩みを再開したクロアゲハが問うてくる。
「いいさ。誰も信じてくれないんなら、オレの手柄にするまでだ。あんたこそいいのか? 悪いが、オレは案内することくらいしかできない――あんたひとりで戦うことになるぜ」
「かまいません」
 深く静かに、少女はうなずいた。
「ずっと、そうしてきましたから」
 それは、切ないほどの重みに満ちたつぶやきだった。


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