地獄蝶々



CHAPTER.01

『不死ナル姫』







 ――その光景には、さしものクロアゲハも息を呑んだ。
 時刻はすでに夕暮れであり、森のなかも燃える紅蓮に照らし出されている。だがそれは、このときばかりは濃厚な血の色にしか見えなかった。
 うめき声が、響く。
 森の奥、ぽっかりと円形に開いた場所だ。村人たちは妖精の輪≠ニ呼んでいる。
 そこに、奴らはいた。
 十数――いや、数十はいようかという異形の不死者の群れである。
 彼らは、到底言葉とは呼べないような声を上げながら一塊に身を寄せあっていた。
 いや――もっと端的に言うならば。
「合体している……?」
 妖精の輪≠ノ入る手前にある木の幹に隠れながら、少女は慄然としてつぶやいた。
 無理からぬことだと、カイは思った。
 不死者たちは、異形の四肢を互いに絡ませ合い、ひとつの巨大な人型を成そうとしていた。触れ合った部分が、煙を立てながらしゅうしゅうと溶け合い、同一化していく。胎児のようにうずくまった、全長にして人間の三倍はあろうかという巨人の姿は、ほとんど完成しているように見えた。
 なかには、合体しようとしてぼろぼろとこぼれていく個体もあった。彼らは、諦めたように頭を振り、おぼろげな足取りで妖精の輪≠出て行く。
 そのさまを見て、クロアゲハは柳眉をひそめた。
「……限界のようですね。合体しきれなかった者たちが、こぼれて……先ほど戦ったのも、その一体でしょう」
「どうするんだ?」
「対処します。あなたは隠れて」
 言うなり、
 クロアゲハは幹の影から突如として飛び出し、異形の巨人へと駆け出していった!
 ォオオォオオオオオオオォオオン……!
 殺意の気配を感じてか、巨人がのそりと起き上がろうとする。
 それを待ちきることなく、少女は巨人の膝を蹴って跳躍すると、脳天めがけて《擬するもの》を振り下ろした。
 衝撃――超重量の鉄槌へと変形した得物が、ぐしゃりと頭部を叩き潰し、血の雨を降らせる。
 直後、クロアゲハは武器を剣に戻しながら、後ろに跳んでいた。追いすがる右腕が、虚しく空を掻く。
 ぼろり、と、巨人の頭部から一体の異形が剥げた。
 そいつは、地面に落下し紫色の液体へと融解していく。
(効いてはいるが……)
 幹の陰にある草むらに身を潜めながら、カイはごくりと唾を呑む。
 あれが数十の異形の集合体であることを考えると、それだけの回数、致命傷を与えなければ倒せない道理だ。しかも、致命傷たりうる部位は実際に攻撃してみないとわからないのである。気の遠くなるような話だった。いっそそのまま気絶できたら、どんなによかっただろうかとさえ思う。
 だが、クロアゲハに臆する様子はまったくなかった。
 剣を槍に変形させ、疾風怒濤と攻め立てる。巨人の胴体に、ざくざくと穂先が穴を空ける――そのほとんどは、じゅううう、と煙を上げて塞がってしまったが、一ヶ所だけそうでない部分があった。その部位に合体していた異形の急所だ。巨人の左脇腹がぼとりと剥げる。
 反撃に繰り出される拳をかわしざま、槍を円月刀に変形させてその腕を撫で斬る。さらに来る前蹴りも回避し、懐に飛び込んで、鉤爪と化した《擬するもの》で脇腹をかっさばく。
 彼女は、戦うつもりなのだ。どれだけの時間がかかろうと、永遠を生きるがゆえに、その手間を惜しまないのだ。三日三晩でも、七日七晩でも、いや、一月、一年かかろうとも、彼女は戦う道を選ぶのだろう。たとえ、その間に何度も死が訪れたとしても。
 尋常ならざる覚悟に、カイの息が詰まった。
 クロアゲハは、あんなにも小さく愛らしい背中にとてつもない重責を負っている。それも、彼女自身には非がないはずの咎なのだ。被害者でありながら、取りようもない責任を取るために、彼女は戦っている――愚かしいほど純粋に。すべてを捨てて逃げたとて、誰も文句を言わないだろうに。
『あんたは、どうして戦うんだ?』
 道中、カイはクロアゲハに訊ねていた。
『不死者が生まれたのは、別にあんたのせいじゃないだろ。なんだって、自分で責任を取ろうとするんだ?』
『私のせいではなくても、私が原因であることに違いはないですから……』
 隣を歩む少女は、哀しげに目を伏せながら答えた。風が吹けば飛んでしまいそうな弱々しさだった。
 見ている限り、彼女はいつもそうだった。弱く――脆く――儚く――だのに、剣を手に執り、戦い続けている。弱いまま、脆いまま、儚いままで、修羅の道に身を投じている。
 ただ、哀しみだけを刃として。
『でもさ! それじゃ、あんたが幸せになれないだろ!』
 言うと、クロアゲハは困惑げな表情をした。
『私は――』
『幸せになっちゃいけないなんてことはない! あんただって、幸せになっていいはずだ! そうでなかったら――』
 そこから先は、言葉にできなかった。口にしてはいけない気がしたのだ。
 うつむいた少年は、頬にやわらかな感触を覚えてハッと顔を上げた。
 クロアゲハが、小さな右手をカイの右頬に添え――
 微笑んでいた。
『ありがとう』
 固まったままの少年から、右手が離れる。
『でも、だいじょうぶです。たとえ穏やかに暮らすことが許されても、けじめをつけないままでは幸せにはなれないでしょうから』
『……あんたが幸せになれる日が来るのを祈ってるよ』カイは、絶望を振り払うように頭を振った。『あんたが、すべての不死者を倒して――誰に気兼ねすることもなく、幸せになれる日が来るのを』
『――』
 一瞬、意外そうな顔をしてから、
『……ありがとう』
 クロアゲハは、天使のように清らかに、再び微笑んでみせてくれた。
(そうだ――彼女は戦う)
 意識を現実に戻し、カイは唇を噛んだ。
(たとえ、それがどれほど非情なものでも――永遠のうちのいつかには、幸せが来ると信じて……)
 めちゃくちゃに腕を振り回す巨人の足もとに滑り込んで、クロアゲハは得物を戦斧に変えた。左の膝裏を強く打撃し、半ばまで断ち切る。追撃の拳が振り下ろされた時には、小柄な身体はすでに、股の間を潜っている。そこで彼女は――とんでもないことに、表情ひとつ変えず――戦斧を鉄槌に変えて、真下から思いきり振り上げた。カイの喉が鳴る。
 過度の痛みはないようだったが、衝撃で巨人が大きくよろめいた。その隙を逃すクロアゲハではない。鉄槌を薙刀に変じると、高々と跳躍し、自らの体重を乗せた一撃を袈裟懸けに見舞った。一文字の裂傷が走り、爆発したように血飛沫が弾ける。
 これまでの攻防で、すでに数体の不死者が剥げ落ち、紫色の液体へと変わっていた。それでもなお、巨人の体躯が崩れる気配はない。あとどれだけ、あれほどの立ち回りを繰り返さねばならないのか――
 そのときだった。
 着地したクロアゲハの足首を、何かがつかんだのだ。
 ハッとした少女が、いきおい大地に転倒する。
 彼女の足首をつかんでいたのは、細く長く伸びた一本の腕だった。巨人の腰から、いつの間にか尻尾のように生えていたものだ。
(危ない……!)
 クロアゲハの顔が上がる――その全身を、真っ黒な影が覆い尽くす。
 振り上げられた巨大な足が、
 そのまま直下に振り下ろされた。
 轟音。
 ぐしゃり、という音は、恐らくそれにかき消されたのだろう。
 巨人の右脚は、完全に地面に接しているように見えた。それが何を意味するか、少年の脳は、一瞬、理解を拒否した。考えたくもない残酷な現実を夢幻ゆめまぼろしにしたかった。
 だが、無理だった。
 巨人が右脚を上げると、ずちゃ……、と、赤黒い塊がこぼれた。もはや、元型など留めてもいない。どこが身体のどの部分だったのか、まるでわからない――ぐちゃぐちゃに叩き潰された、少女の屍だった。
 カイは、そのさまを、凝然として、ただ見ていることしかできなかった。



 その男は、森を形成する木の一本、その枝の上に座り込み、一部始終を観察していた。
 色とりどりの宝石が襟元にブローチとしてちりばめられた、上品な造りの長衣をまとう壮年の男だ。口髭は小綺麗に整えられ、頭髪も、首のあたりで手際よく切り揃えられている。深い藍色の瞳は、眼下の悲劇を余すところなく映し出し、ただ冷静に分析していた。
(……この辺りが、限界か)
 肉塊と化した少女を持ち上げ、岩じみた拳で搾り上げて、びしゃびしゃと鮮血を浴びる巨人に視線をやり――
 彼は、小さく嘆息した。
(あれは、確かに強さを得た。複合する肉体による多重耐久能力……だが、それだけだ。俺が望む進化を得られはしなかった)
 ゆるゆると首を横に振り、男は小さく指を鳴らした。
 すると、少女の血をむさぼっていた巨人の全身が、びくりと跳ねた。
くびきは外した。後は好きにするがいい)
 次の瞬間には、もうそこに、男の姿はなかった。



 巨人が歩き出すのを見て、カイは慌てて地に伏せた。
 クロアゲハを惨殺した巨人は、悲しげな雄叫びを上げながら、一歩一歩、大地を踏みしめて妖精の輪≠出てくるところだった。数日前から様子を探っていたカイだが、巨人がここを出るのは初めてのことだった。今までずっと、寄り集まって合体を繰り返していたというのに。
 ずしん、ずしん、と大地を震わせながら、巨人が歩みを進めていく。カイは、ただ息を潜め、祈り続けることしかできなかった。どうか気づかないでくださいと。気づかれれば最後、先の少女のような無惨なる死が待ち受けているのだ。脈打つ心臓の鼓動さえ、今このときばかりは止まれと願った。
 足音が、遠ざかっていく。こちらには気づかなかったようだ。
 長く、薄っすらとため息を吐いて――
 カイは、ハッと気づいた。
 妖精の輪≠ヘ、村から一本道にある。あの巨人が動き出したということは――当然、向かう先は、ひとつだろう。
(知らせなきゃ――)
 だが、今、姿をあらわせば、殺されるのは自分だ。結局、誰も助けられない。いや、見つからないように先行すれば――だが、そんな綱渡りがうまく行くのか――けど――しかし―― 逡巡――葛藤。いずれにしても、少年の身体は考える石と化し、ぴくりとも動かなかった。
(どうする……)
 知らず、息が荒さを増していく。極度の緊張が、少年の神経を焼き切りつつあった。すべてをかなぐり捨てて、ただじっとしていたい衝動に駆られる――だが、それでは――村は、全滅だ。みんな死ぬ。村長も。憎たらしい大人たちも。ゾフィーすら。
 不意に、絹を裂くような悲鳴が上がった。
 うつぶせたままそちらを向いた少年の眼は、巨人の股の間から、その向こうで尻もちをついている少女の姿を映し出していた。
 ゾフィーだった。
 カッ、と脳内が灼熱する。しまった――妖精の輪≠フことを、彼女に教えていた。自分のことが心配で、様子を見に来てしまったのだ。
 これまでのためらいが嘘のように、身体が跳ね上がった。喉を割らんばかりの叫びが、一直線に少女に飛んだ。
「危ない、逃げろ!」
 その時には、すべてが遅かった。
 巨人の大きく長い右腕が、少女の胴体を、どうしようもないほどの強さで握り締めていた。
 カイの相貌が凍りついた。
 ぐしゃり――ばきり。何かの砕ける音。「ゲッ」少女がびくんと痙攣し、喉からおぞましい響きの苦鳴が漏れる。巨人は左手を伸ばし、大事なものでも扱うように、少女の身体をそっとねじった。挙措の細やかさとは正反対に、ばきばきと激しい音がして、直後、びしゃあああああっ、と、破損部分から鮮血が走り抜けた。
 少年は、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
 巨人は、恍惚として少女の生き血を浴びていた。ひとりの人間に、あれほどの血液が備わっているのかと驚くほどの量が、そいつを濡らしていた。一瞬、勢いが止まったかと思うと、巨人がさらに少女の身を――今度は、雑巾か何かのように――搾り上げ、残された最後の血の一滴までもを吐き出させた。
 少年は、静かに膝を突いた。意図した挙動ではなかった。視線の高さが急激に変化したところで、ようやく気がついていた。
 血潮に酔いしれているのか、巨人がこちらに気づく様子はない。
 やがて、少女の屍から血が出なくなると、巨人は無造作に、ゾフィーだったものを放り捨てた。湿り、濁った音が届く――反射的に、少年は草むらに身を隠していた。
 巨人の足音が、遠のいていく。
 カイの身体は、震えていた。
 理由は自分でもわからない。いや――どの理由で震えているのか、自分ではわからなかった。
 ただ、少なくとも確かなことは、自分のなかにはもう、勇気のかけらもないということだった。
 雨に濡れたように身体が重く、とても動いてくれそうになかった。
 はるかな地響きを聞きながら、少年は、静かに――気づかれないように――嗚咽をこぼすしかなかった。
「畜生……ッ!」
 無論、それが何になるわけでもなかった。


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