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地獄蝶々



CHAPTER.03

『奈落剣』







 じゃッ、と鋭く空を裂き、鋭い鎌状の刃を備えたふくらはぎがレナを袈裟懸けに襲った。
「っ……!」
 人間でも獣でもない魔性の挙動に戦慄しつつ後退するレナ――ぎりぎりで一撃を回避する。
 目の前の相手は、振りきった右足をぴたりと宙で静止させ、振り上げたまま、じっとこちらを見つめてきた。
 むさ苦しい髭を生やした、壮年の男であった――ただし、全身が紫色の・・・・・・
 狩人という職業柄、人間の死体を見たことは何度かある。狭い村のなかでの人間関係に嫌気が差し、森のなかで首を吊って死んだ者を見つけたことだってあった。死体の皮膚表面に浮かび上がる死斑は、時として元人間とは思えないほどグロテスクな、紫の色合いをしていることがあるが――目の前のそいつは、そんなものですらなかった。蛍光の紫・・・・なのだ。人間の身体にどんな異常が起こったとしても、そんな風になるはずはあるまい――
 それなのに、人間文明の象徴とでも言うべき衣服をまとっているのが、おぞましいほど奇妙であった。焼け焦げ、擦り切れて、ほとんど切れ端と呼ぶしかないが――間違いなく、衣服だ。貴族が着るような仕立てのいいものではない。見慣れた村人たちのそれとも異なる。レナは実際にお目にかかったことはないのだが、都市で暮らす者たちが着るような衣服――なのではないだろうか。
 何よりの特徴は、その両足である。
 いびつに膨れ上がり、通常の数倍の横幅を誇っている。その上、爪先から腰部に至るまでが、甲殻虫の持つような硬い殻に覆われていた。そして――足の裏側、ふくらはぎが、緩く湾曲した鋭利な刃物を形成している。奴は、鎌で稲穂を刈り取るように足の裏側でこちらの身体に斬りつけてくるのだ。
(なんなのよ、こいつ……!)
 レナの心は、ほとんど悲鳴を上げていた。
 幼い頃から通い慣れた、村に面する森のなか。獰猛な獣の存在も、有毒の茸の存在も熟知している。ここは、たとえどんなに慣れたのだとしても決して油断してはならない、自然の聖域であるのだと、いつも肝に銘じている。
 だが、それでも――こんな得体の知れない化物が現れるなどとは、さすがに考えたこともなかった。
(どうしよう……どうしよう……!)
 冷たい汗が流れ、皮膚と服とを張り合わせている。手にした鉈を、今にも汗で滑らせて、取り落としてしまいそうだ。そうなっても、待ち受ける結果は変わらないのかもしれない――こんな邪魔な草を切り払うための道具なんかで、化物に太刀打ちできるはずがない。
「じゃぁあああぁああああぁぁああああぁああ――――」
 化物が、静かに吐息した。ぎょろりと剥かれた眼が、明らかにレナに狙いを定めていた。何かの間違いであってほしかった。
(いやだ……やだ……やだ……!)
 一歩。化物が、にじり寄ってくる。背中を見せて逃げ去ってしまいたいが、そうした瞬間、追いつかれ、足で切り倒されてしまうのではないかという想像が、足枷となる。選択を誤れば、待ち受けるのは絶対たる死であるのだ――そう思えば、決断することすら恐ろしくてたまらなかった。
 こちらが怯えていることを、如実に感じ取ったのだろうか――化物が、身をたわめ疾走の準備に入った。ひどくゆっくりとした動きだった。あるいは、レナの感覚が加速してそう思わせているのかもしれなかった。だとしたら、こんな絶望はない――
「じゃあッ!」
 化物が、跳躍する。
 びくりと震えるレナの身体は、縛り上げられたようにその場から逃れられない。
 全身を回転させた化物が、右足の鎌でレナの首筋を刈りに来る――
「つあっ!」
 若く壮烈な叫びが、その一撃を叩き落した。
 叫びは、鋼鉄の刃を伴っていた。
 ぎぃんッ、という撃剣の響きを得て、化物の一撃を力強く跳ね返したのだ。化物は反転し、着地して、「じゃうッ!?」と不可解げな唸りを上げる。
 レナは、唖然として、目の前に割り込んできた若者を見つめるしかなかった。
 精悍な顔立ちをした、二十半ばほどの青年だ。
 古びた外套をまとい、その下に革製の鎧を身に着けている。
 上背はそれほどでもないが、革鎧の下に隠れた全身の筋肉は、しなやかにして鋭利に鍛え上げられているようだった。まるで、彼そのものが一個の刃であるかのような、執拗なまでの鍛えようだ。いったい、どのような執念に追い立てられれば、若くしてこれほどの肉体を得るに至るだろうか。
 彼が手にする武器もまた、特殊だった。
 外見は、矛槍に近い。長柄の先では、槍の穂先と矛の刃が合わさっている。そして、刃の反対側は金槌状になっていた。武器としては、かなり扱いにくい重量バランスだ。
 だが、彼はそれを使いこなしてみせた。
 咄嗟に割り込み、化物の一撃を得物の金槌部分で受け弾いて見せたのだ。
「あんたが、レナか」
 ちらりと顔を振り向かせ、若者は問うてきた。やや高めの声質を、無理に低く発しているような独特の声色だった。
 いきなり名前を呼ばれて、レナはさらなる驚きに瞬きした。
「え……、うん――そうだけど……」
「そうか。村の連中が心配してたぜ。まあ、なんだ――間に合って良かった」
 安堵の風情などまるで見せずに告げると、彼は、再び化物へと向き直る。
「あんたの安否に興味はないが……こいつらに餌をくれてやるのは、癪だからな」
「こいつら、って……知ってるの!? この化物のこと!?」
「知ってるも何も――」
 ずん、と。
 重みのある一歩を踏み出しながら。
 青年は、告げた。
「専門家だ!」
 そして、旋風のような薙ぎ払いを仕掛ける。
 単純な動作、大振りの一撃――しかし、おそろしく速い。武器の重みを速度に変えたのだ。この重量をじゅうぶんに振るえるだけの膂力と、バランスの悪さを苦ともしない技量、そして何より、恐れず怯えず化物に立ち向かう精神力、そのいずれが欠けたとしても、これほど鮮やかな閃弧は描けまい。
 果たして、化物はその一撃をかわせなかった。
 青年が見せた一刀の鮮烈さに見惚れたのではないかと思えるほど、無防備だった。
 獣が荒々しくかぶりつくような、豪快なる一閃――化物の腹部が、ざっくりとかっさばかれ、紫色の血腸が弾ける。
 青年の攻撃は終わらない。振るった刃を、びたりと空中で止めたかと思うと、今度は高速の突きを繰り出す。武器に振り回されるということのない、完璧な熟練性だった。槍の穂先が、化物の口腔をまっすぐに貫いていく。
 そのまま接近。ブーツに覆われた爪先で、切り裂いた腹部を思いっきり蹴りつける。内臓という内臓を無慈悲に叩き潰しながら、衝撃で吹き飛ばす――その勢いで、化物の口から穂先が抜けた。
 よろけ、後ずさる化物。あっ、と、レナは声を上げそうになった。今の一撃で、彼我の距離が大きく開いた――それこそが、青年の狙いだと気づいたのだ。
「……ぬんッ!」
 横薙ぎの一撃が、再度、繰り出される。今度は刃ではない。金槌部分での攻撃だ。
 わずかに距離を調整する、その足の運びすら一撃の初動に変えていた。化物は逃れられない。その側頭部を金槌が撃ち叩く――とんでもない重量で、ぐしゃぐしゃに破壊し、紫色の脳髄をぶちまけさせる!
(なんていう……!)
 レナは、ほとんど絶句していた。
 青年の技は、不可思議なものではない。どれも、人間に可能な動きであった。だが、それを着実に組み合わせ、確実に実行することによって、青年はあの化物を完全に圧倒していた。そして、連続で致命傷を刻んで見せたのだ。
 ずしゃあああああッ、と化物が森の地面を転がる。ぶちまける血液すら、毒々しい蛍光紫だった。
(さすがに、これは――)
 立ち上がれるはずもない。ほっと息を吐こうとして、
「……!?」
 レナは、凝然となった。
 化物が――即座に身体をひねって、立ち上がったのだ。
 いや、立ち上がったどころではない。じゅうううぅうう、という耳障りな音とともに、打撃を受けた部位が白い煙を上げ――瞬く間に、傷が塞がっていく!
(そんな……!?)
 ありえない。狩人として、一通りの応急手当をこなせるレナだからこそ、その光景には息を呑むしかなかった。人間も動物も、確かに自然治癒能力を備えている。だが、こうも一瞬であれほどの深手が癒えるなど――生物の機能ではありえない!
 ただ、化物としても、余裕はなかったのだろう。
 そいつは、じゃッ、と鋭く後方に跳躍した。さらに、二度、三度と跳躍を繰り返して、木々の枝に足を引っかけ、森の奥へと退いていく。さしもの青年も、これを追いかけるほど人間離れした動きはできないらしく、舌打ちをして見送っていた。
 化物の姿は、すぐに見えなくなった。
 静寂が訪れる――気がつけば、鳥や獣の気配など、この場にはまるで残っていなかった。あの化物が現れた瞬間、いや、おそらくはその前から、獣たちは凶事を察して逃げ出していたのだろう。
 ぶんッ、と、青年が得物を振った。
 びくりとなるレナ――化物がどこかに潜んでいて、青年がそれを迎撃したのかと思ったのだ。だが、それにしては、青年の挙動はぞんざいだった。どうやら、紫の返り血を振り払っただけらしい。
「逃げたようだな」
 端的に言いつつ、青年が振り向いてくる。
 人外の敵と矛を交えたというのに、微塵の動揺も感じられない。ぶっきらぼうにこちらを睨んでいる。おそるべき強敵をなんとか追い払うことができてよかった――などという風情ではない。明らかに、獲物を取り逃がしたことに苛立っている様子だった。
(なんなのよ、こいつ……)
 理解しがたいものを感じながらも、レナは、なんとか言葉を絞り出した。
「え、ええっと……ありがとう。助けてくれて」
「幸運だったな。死ななくて」
 青年は、無愛想に告げた。おまえを助けようとしたわけじゃない――ということを言外に告げているようだった。
(こ、こいつ……)
 むかっと来るのを堪えながら、レナは引きつった笑みを浮かべた。
「そ――そうね。良かったわ、うん……」
「だが、放っておけば、あいつはまた村の人間を殺すだろう」
 青年は、冷然と言った。
「喰うわけじゃあないんだが――あいつらは、人の生き血を欲するからな。ここは、ちょうどいい餌場ってわけだ」
「え――」
「俺はカイ」
 矛槍を肩に担ぐようにして、彼はじろりとした視線を浴びせてきた。
「《不死狩り》のカイだ。――死にたくなけりゃ、俺を雇うんだな」


NexT(※未更新)
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