地獄蝶々



CHAPTER.03

『奈落剣』







(あの野郎……!)
 レナをさらった不死者と、不甲斐ない自分――双方への憤りを燃やしながら、カイは森のなかを駆けていく。
 不死者は相変わらず樹上を跳び回っている。ただ、レナを抱えているせいだろうか、こちらを振りきるほどの速度ではない。それでも、カイが森に慣れていなければとうに追いつけなくなっていただろう。
(なんで、あいつはレナをさらう……?)
 疾走を続けながら、そんな疑問が湧いてくる。
 森に入る前から不思議に思ってはいたのだ。
 不死者が村に現れ、人をさらっていくという話――カイの知る限り、不死者というものは無差別に人を襲い、生き血を浴びる習性がある。その習性から鑑みるに、この不死者の行動は不自然なのだ。
 自我も知性も失ったとはいえ、動物程度の思考能力はある。囲まれて滅多打ちにされればどこかの急所を突かれて死ぬかもしれないとわかっているのか、不死者はたいてい、真正面から人里に乗り込んで暴虐の限りを尽くしたりはしない。だから、人をさらうというのも、人目を盗んで得物を捕まえていったと考えれば、ありえないことではないのだが――あえて巣に運ばなくても、適当なところで殺してしまえばいいはずだ。
(よほど慎重で、自分の縄張りでなきゃ、無防備な食事≠したがらない――ってことなのかと思ってたが)
 それほど慎重であるなら、あの局面でレナをさらう理由がない。
(奴には、何か別の目的がある……?)
 そんな風に、思えてならない。
(ちっ――それが何かはわからんが。なんにしても、あいつの思うようにはさせてやらねえ!)
 カイの人生は、不死者のせいで歪んだようなものだ。
 ゾフィーを殺し、村人たちを殺した不死者――いびつなる異形の肉体を持つ怪物たち。その存在を許さぬことこそ、今のカイを支えるすべてだった。ほんの少しでも、不死者に満足な気分を味わわせてしまうことが、何より我慢ならないのだった。
 レナの、悪戯げな笑顔を思い出す。
 それは、失われたゾフィーの笑顔とかぶり――次いで、ある少女の笑顔とかぶった。
(……!)
 思わず頭を振って、脳裏のイメージを追い払う。
(とにかく、レナは助ける。あの不死者の目的を果たさせてやる気はないし、それに――)
 そう――
(レナも――あいつも。悪い奴じゃ、ないからな)
 そんなことを、考えたところで。
 やがて、不死者が樹から降りた。
(奴の巣か……)
 物陰に隠れ、様子をうかがって――
「……!?」
 カイは、思わず眼を見開いた。
 そこは、木立に囲まれた小さな空間だった。
 場の中央には、切り株がある。周囲の木々に比べ、大きな木が立っていたのだろう。その大木が倒され切り株となって、この空間が形成されたのだ。
 切り株の周囲には、よっつの影があった。
 老人と。
 男と。
 女と。
 犬である。
 いずれもすでに屍だった――虚ろな眼を開いたまま、力なく、だらりと倒れている。
 不死者は、カイが追って来ていないか確認しているらしく、きょろきょろと周囲を見回していたが――こちらの気配に気づけず、レナの身体をずりずりと引きずった。
 レナは気絶している。突如として怪物に拉致され、高速で樹上を引きずり回されていたことで卒倒したのだろう。
 そして不死者は――
 レナを、そっと切り株に横たえた。
 その仕草は、なんとも人間らしいものだった――カイは、込み上げる吐き気を堪えねばならなかった。
 レナを切り株に乗せた不死者は、「じゃあじゃあ……」と不気味な声を上げ、周囲を見回した。犬を撫で、男と女と老人に声をかける。その誰もが、返答する魂を持っていないというのに。
(こいつは……)
 凄まじい怖気が、カイの背中を駆け抜けた。
 まるで・・・家族だ・・・
 一家団欒、食卓を楽しく囲んで、ごちそうを食べようとしているかのようだ。
 屍の家族を揃え、生きた人間を食事と見立てた、異形の不死者のおままごと――狂おしいほどいびつなその光景に、カイは震えさえ呼び起こされた。
(まさか……こいつ……)
 なぜ人をさらったか。
 なぜ犬をさらったか。
(人間だった頃を、覚えているのか……!)
 蒼い炎に焼かれ、異形の者と化す以前の自分を。
 その頃の、愉しかった思い出を。
 覚えていて――忘れられなくて。
 自我も知性も失うなかで。
(再現……しようと……)
 ふつり、と。
 カイのなかで、何かが切れた。
 それがなんだったのか、彼自身にすらわからなかった。
 ただ、気がつけば――木の陰から飛び出し、叫びを上げていた。
「――やめろッ!!」
 びくりとして、不死者がこちらを振り向く。
 虚無に満たされたその相貌は、どこか悲しげだった。
(やめろ――やめろ――やめろ――やめろ――!)
 不死者のくせに。
 人間の天敵のくせに。
(やめろ――)
 そんなことを、するな。
(やめろ――)
 人間の頃を、取り戻そうなんて。
(やめろ――)
 平和な日常、幸せな日々を過ごしていたのに、突如として炎に焼かれ、異形の肉体を与えられ、心を奪われ、生き血を求める化物に成り果てて、それでも忘れられなかった思い出にすがり、本質をすり替えて代替物を集め、満たされない思いに囚われて、歪みきった永遠を転がり続けて――
「やめろ!!」
 絶叫だった。
 認めたくなかった。
 目の前の不死者に対して、朧と沸き起こる己の感情が――なんであるかを。
(俺は……憎んでいるんだ!)
 彼らを。不死者を。彼らを異形に変えた者を。
 彼女を。
 クロアゲハを。
(憎んでいる! 憎んでいる! 憎んでいる! 憎んでいるんだ!!)
 叫びで心を塗り潰す。戸惑うことのないように。迷うことなどないように。
 すべての不死者を殺せるように。
「おまえ……おまえは――」
 カイは、得物を構えた。不死者もまた、異形の構えで迎え撃つ。その動きは、まるで背後の団欒・・を守ろうとするかのようだった――カイは奥歯で感情を押し殺した。
「おまえは俺に殺される! 殺されなきゃならないんだよッ!」
 ずしりとした重みを、なおのこと意識しながら――
「おまえは不死者だ! 人間じゃないんだ! 怪物なんだ! 殺すしかないんだ!」
 目を剥いて、カイは疾走した。
「だから――怪物らしく、殺されやがれ!!」
 矛槍を、振るう。
 大上段からの撃ち下ろし。得体の知れない恐怖で震えていても、身体は武技に忠実だった。何年もかけて染み込ませてきた苛烈の挙動を、完璧に実行してみせた。
 不死者がかわす。旋回――ぐるりと身体を回転させながら、こちらの右側に回り込み、鎌状の足で刈り取りに来る。身をかがめるカイ。頭上を刃が擦過する。
 起き上がりざまの振り上げ。斧の刃が不死者を襲う。逆袈裟――一閃――しぶく血液。だめだ。以前の激突でわかっている。そこは奴の急所ではないのだと。
 唸りを上げて、不死者が回転。逆の足で切りつけてくる。斧で受ける。弾く。後退――追いすがる不死者。螳螂かまきりの腕のように、振り上げた足を連続して上段から叩きつけてくる。これも矛槍で受けるが、あまりの重量に完全に圧される形となる。反撃に転じられない!
「はッ!」
 何度目かの叩きつけを受け流しざま、右足を振り上げる。爪先が、不死者の鼻面を叩き潰す――ぐらりとよろけさせる。その隙に、敵の全身を支えている軸足へ斧を一閃。甲殻を叩き割り、体液を噴出させ、不死者を転倒させる。
(対不死者戦の基本は、刎頸ふんけいにある――)
 たいていの不死者は、頭部を切り離されれば死に至る。そこに急所が含まれている場合があるからだ。
(まずはそれを狙う!)
「ずぁああぁあああああぁああ――――ッ!」
 裂帛の気合とともに、カイは斧を振り下ろした。
 ばづんッ!
 不死者の頭部が斬り断たれ、血飛沫の奔流に乗って勢いよくすっ飛んでいく。
 直後、倒れたまま振り上げられた足をカイは後退してかわした。
(だめか!)
 相手の身体は溶けていない。どこか別の急所があるのだ。
(だとすれば、背中か……?)
 次は背後に回り込み、貫こう――そう算段を立てた時。
 じゃッ、という擦過音が背後で響くのに、カイは鋭敏に反応した。
(――!?)
 振り向きざま矛槍を一閃。ばぢんッ! 何か硬いものを撃墜する感触。
 視認して――カイは、めまいに襲われた。
(なんだって……!?)
 襲ってきたのは、屍だった。
 老爺の屍が、右腕を槍穂のように鋭く尖らせ貫手を放ってきていたのだ。
 右腕は、紫に染まっている。あの不死者と同じ色。
 カイは、もう何度目になるかもわからない戦慄に心が凍えるのを感じた。
(不死者の身体を、移植されている――操られている!?)
 のそり。
 男が――女が――犬が、起き上がる。
 男は口元が、女は左腕が、犬は背中が、あの蛍光紫であった。
 その部位に引っ張られるようにして、屍たちが襲いかかってくる。
「ちいっ……!」
 焦慮に駆られつつ、それでもカイは冷静に対処した。
 女の左腕をかわし、男の噛みつきから身をひねって逃れる。犬の背中から触手が伸びてくるのを、ほとんど勘だけで回避――そのすべての挙動を、老人への肉薄につなげる。
「ふんッ!」
 すれ違いざまの白刃。老人の右腕を、肩口からすっ飛ばす。
 すると、老人はぐらりと倒れ、動かなくなった。斬り断たれた右腕が地面でのたうち回っているが、単独ではほとんど動けないらしい。
「おおっ!」
 さらに、振り向きざまの旋風で女の左腕を斬り飛ばす。背後から男。そちらを見もせぬまま、引き戻した矛槍の石突きで額を砕き、衝撃で動きを封じる。矛槍を引き抜きざま反転。口元ごと、男の顔面を斬り砕く。
 すぐさま横転。触手が虚空を裂いていく。起き上がり、真上からの振り下ろしを犬へと見舞う――背中ごと身体を前後に両断されて、犬は動きを停止する。
「じゃあああぁあああああああああぁあああッ!」
 不死者が絶叫を上げた。
 絶叫を上げるための頭部が、すでに再生していた。いびつな再生だ。ほとんど口だけしか形成されていない。真紫の肉の塊がじゅくじゅくと唸り、形を為そうとしている。
 不死者の声は、家族を奪われたことへの怒りのように感じられ(違うッ!!)
 こんな身体になっても、代替物でも、家族を傷つけられるのは(そうじゃないッ!!)
 物悲しいほどに切ない咆哮は、彼にもまだ意志のかけらが(あるもんかッ!!)
 不死者が来る。目もくらむような憎悪を宿しての突進から(怨む権利があるのは俺の方だッ!!)鎌足の乱舞が、がむしゃらに(惑わされるものかッ!!)繰り出され、のけぞるカイの顔を擦った後、反撃の金槌で叩かれ、大きくバランスを崩し(何も思わない! 何も感じない!)よろけつつも倒れまいとすることこそカイの狙いで、彼はその隙に(考えるな感じるな殺せ殺せ殺せ!)不死者の背中に回り込むと(そうだこの時を待っていたんだ殺せ今すぐ容赦なく!)槍を突き込み(殺せ!)斧で叩き割り(殺せ!)金槌で粉砕し(殺せ!)絶叫(殺せ!)苦しげ(殺せ!)声の余韻が(殺せ!)切々(聞くな殺せ!)こんな(殺せ!)殺意(殺せ!)憎悪(殺せ!)憤怒(殺せ!)殺せ(殺せ)殺せ(殺せ)殺(殺せェェエッ……!)
 ――カイは。
 カイは。
 ぐじゅぐじゅに溶けた紫色の液体に、何度も矛槍を振り下ろしている自分に気づいた。
(殺……)
 手を止める。息を吐く。頭を振って、後ずさる。
 敵は、完全に死んでいた。
 やはり背中が急所だったのか。元型を留めず、不気味な液体に変じていた。服の切れ端と思しきものが周囲に散っている。
「ぐっ……、は――は――はあっ……、ぜえ――」
 本来の呼吸を思い出すのに、カイは数瞬を必要とした。
(やった……)
 未だ治まらぬ吐き気に口元を押さえながら、認識する。
(こ、殺した……)
 達成感も安堵感もなかった。ただ憔悴だけがあった。心も身体もぼろぼろで、ぐったりと重く、じんじんと痺れていた。
(レ――レナは……)
 振り返る。
 切り株の上に、少女はいた。
 いつの間にか、目を覚ましていたらしい。縮こまるように身をすくめ、茫然とこちらを見つめていた。
 その瞳には、あからさまな恐怖の色が透けて見えた。
 ともに森を歩いていた時には、なかったはずの色合い。
 代わりに、あの時あったはずのわずかな親しみが、完全に失われていた。
 取り戻しようのないほどに。
(……)
 感情を、カイは封じた。そうしなければならなかった。《不死狩り》のカイであるためには、必要な技能だった。
 いつものことだった。
 どうしようもない。
「……終わった……ぞ」
 どうにか、カイは声を絞り出した。
「奴は殺した……これで終わりだ。もう終わったんだ……」
 自分に言い聞かせるようにつぶやきつつ、少女へと歩み寄る。
 レナは、びくりとして、こちらを見上げ――
 その腹部から・・・・・・触手が伸びた・・・・・・
「――!」
 絶句――しながらも。
 カイは、反射的に矛槍を振るい、それを切り払っていた。
 少女の衣服は、腹のあたりが破けていた。そこから紫色の触手が何本も伸びて、ゆらゆらと宙に待機していた。滑らかなレナの腹部は、紫色に染まっていた。
「何……これ……」
 レナが、茫洋と声を上げる。
 驚きすぎて――どんな色をも宿しようのない声を。
 宿主の感情を置き去りにして、触手が宙を走る。
「っ!」
 ざんッ、と触手を薙ぎ払い、斬り落とす。
 だが、触手はすぐに再生を果たし、襲いかかってくる。
 先ほど屍に移植されていたものは、斬り断てば再生しなかった。だが、こいつは違う。不死なのだ。
 では、なぜ違うのか。
 考えられることはひとつだ。
 先ほどとは異なり、屍ではなく、生者に寄生しているから――
 カイの心身は極度の疲労を訴えている。このままでは、再生し続ける触手を防ぎきれなくなる。死ぬ。斃れる。殺される。
 そうならないためには――何をすべきか。
 それがわからないカイではなかった。
「……」
 無言のまま。
 カイは、一歩を進んだ。
 レナが、ひっと息を呑んだ。
「カ、カイ――」
 カイは、一歩を進んだ。
 触手が一本、宙を舞った。
「ねえ――カイ……」
 カイは、一歩を進んだ。
 二本の触手を、まとめて薙いだ。
「や、やめて……来ないで!」
 カイは、一歩を進んだ。
 触手はない。だが再生しようとしている。
「やだ――やだっ! ああっ! 来なっ、来るなっ、来ないでッ!」
 カイは、一歩を進んだ。
 鬼神じみた形相を、凝然と凍りつかせて。
「ねえッ! やめてよ! やめ――やだ――ああ――や、やだあっ!」
 カイは、一歩を進んだ。
「あ、あたし――」
 カイは、一歩を進んだ。
「あんたのこと、悪い奴じゃないって――」
 カイは、一歩を進んだ。
 射程に入った。
 矛槍を振り上げた。
 絶望を宿す眼差しを受けた。
 奥歯を噛み締めた。
 叫びを上げた。
 少女の叫び。
 鋼が絶ち斬る。
 感触。
 肉が散る。
 返り血。
 痙攣。
 痙攣。
 痙攣。
 痙――
 ――――
 ――停止。
 沈黙。
 静寂。
 時の凍てつき。
 無風。木々さえも声を殺して。ただ鋼が。鋼だけが。
「……っ」
 カイは、わずかにうつむいた。
 柄を握る手に、これ以上ないほどの力を込める。
「……クロアゲハ」
 名を、呼ばう。無意識に。すがるように。
 どれほどの時を経ても色あせることのない、少女の笑顔を思い出しながら――
「……クロアゲハ!!」
 青年は、絶叫した。
 絶叫したつもりだった。
 だが、それはどこまでも弱々しくかすれたもので――
 嘆きにまみれた悲鳴でしかなかった。


Chapter.04へ
地獄蝶々≠sOPへ

≪ご意見・ご感想はこちらへどうぞ!≫