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地獄蝶々



CHAPTER.04

『決意烈然』







 こんこん、とドアがノックされて、マルグリットは・・・・・・・顔を上げた。
 豪奢な調度品が丁寧に配置された、彼女の自室である。
 ただ、それらの品々にどれほどの意味があるのだろうかと、彼女はいつも疑問に思う。
 この十四年間、一日のほとんどを寝台(ベッド)の上で過ごしているのだから――どんな品が部屋に置かれていようと、彼女にとっては意味をなすものではないのだ。
「マルグリットさま」
 ドアの向こうから、聞き慣れた近衛兵の声がした。
「ティムが参りました」
「あら……」
 告げられた名に、少女は小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。通してあげて」
「はっ」B  扉が開かれると、
「姫さま!」
 十を数えたばかりの少年が、ぱっと顔を輝かせながら姿をあらわした。
 マルグリットに会うため大人びた礼服を着せられてはいるものの、衣服では抑えきれない弾けるような快活さがその全身からあふれている。
「ティム」
 マルグリットは、にこにこと彼の名を呼んだ。
「お久しぶりっす!」
 ティムもまた、心からうれしそうに挨拶をしてくれる。
 かと思うと、突然、顔つきをきりっと整えて恭しく一礼した。
「あなたのティムが、今日も城内の様子を報告に参りましたよ」
「まあ」似合わない畏まり方に、少女はくすくすと笑う。「今日の話題はなんでしょう? 私としては、オリバーとアントンの喧嘩の理由が、とても気になるんですけど……」
「あー、あれね」
 一転、少年は気楽な風情でぱたぱたと手を振り、部屋のなかの椅子に座った。
「いや、ホントしょうもない話っすよ。原因は、オリバーにアントンが金を貸したことなんスけど……」
「オリバーが、お金を返さなかったの?」
「いや、オリバーはちゃんと返そうとしたんス」
「それなら、オリバーの返す金額が足りなかったとか?」
「んにゃ、オリバーが借りたのは十ガラン、返そうとしたのも十ガランっす」
「じゃあ、どうして……?」
「オリバーが、十ガラン全額を五リダ貨幣で返したんスよ……。それでアントンが激怒しちまって。『五リダ二百枚で返すとか何考えてんだ!』『額は同じなんだからいいだろうが!』で大喧嘩。なんで近衛兵になれたんスかねあいつら」
 マルグリットは、一瞬ぽかんとしてから――顔を伏せるようにして、くつくつと笑った。
「五リダ二百枚って……。そんなの、集めるのも大変でしょうに」
「釣銭貯めるのが趣味だったらしいんスよ、あのおっさん。で、いい機会だからどばーっと使っちまおうとか言って」
 ふたりはしばらく、貨幣二百枚って積んだらどのくらいなんだろうとか、他愛もない話で盛り上がり、静かに笑い合った。
 その後も、ティムはいろいろな話をした――城内の女中たちから聞いたという恋愛事情や、男衆の馬鹿騒ぎについてなど、次から次へと話題をつないでみせた。マルグリットは、穏やかな微笑みをたたえたまま彼の話を聞いていた。ほとんど部屋から出ることのない彼女にとって、ティムの携えてくる話題はどれも興味深く、愉快なものばかりだった。
 ティムも慣れたもので、ちょっとしたネタでも面白おかしく話してみせる。時には、マルグリットだけでなく、扉の前でふたりを見守っている近衛兵すら吹き出してしまうこともあった。
 やがて、
「お時間です」
 咳払いとともに近衛兵が告げると、「おっと」とティムは立ち上がった。
「んじゃ、姫さま。また今度、いろいろネタを集めてきますんで」
「はい。楽しみにしてます、ティム」
「ありがたき幸せ」
 大仰に一礼してから、ニッと笑顔を見せて――ティムは退室していった。
 軽い音を立てて扉が閉まる。
 その途端、微笑んで少年を見送っていたマルグリットは、わずかに目を伏せ小さくため息を吐いた。
(もしも私が元気だったら、ティムが話してくれたようなことを、直に体験することができるかもしれない……)
 だが、現実にはそうではない。
 マルグリットは幼い頃から身体が弱く、常に何かの病に冒されていた。
 医者の話では、悪しき病魔に対する抵抗力というものは、個人個人によって大きく異なるという。頑健な者もいれば病弱な者もいる。抵抗力の低さは、日々の食事によって改善することができる――たとえば、吹きゆく風のなかを駆ける鳥類を食べれば寒さに強くなるし、熱帯地方に住む獣を食べれば暑さに耐性を得られる。北陸地方や高山地帯の植物を食べれば、風邪を引くこともなくなる。
 ただ、マルグリットの場合、どんな食事を試してみても、一向に抵抗力が強まらなかった。年中風邪を引いているし、いったん引けばなかなか治らない。もしなんらかの流行り病が城にまで波及すれば、マルグリットの身体ではひとたまりもないだろう。
 これまで彼女が生きてこられたのは、領姫として、最高級の食事と治療を受け続けることができたからだ。ただの町娘として生まれていたなら、とうに何かの病で命を落としていたに違いない。
 ただ――国で最高の環境にあってなお、彼女の体質が改善される兆候はなかった。
 父はいろいろと手を尽くしてくれているが、きっと無駄だろうと彼女は半ば諦めている。
 いつの日か、どうしようもないほど強力な病に罹って命を散らす時が来る。
 だからマルグリットは、それまでの間に何かできることはないかと、必死になって勉学に取り組んでいた。
 社会情勢を教わり、法律を習い、経済を知り、貧困に目を向けてきた。
 父に頼んで政に携わらせてもらうようになったのは、ここ数年の話だ。マルグリットは、民草の環境をよりよくすることが国の基盤を強めることにつながると信じていた。だから、施療院の質を高め、孤児院を建て、税制に手を入れた。遠からず消える命なら、せめて、可能な限りたくさん、誰かのためになることをしたかった。
(それでも、やっぱり、死ぬのは怖い……)
 決意だけでは、震える心を止められない。
(死んだら土に還ると、天冥教では言うけど……その時、私≠ヘどうなってしまうんだろう? 完全な無になってしまうんだろうか? だとしたら……いやだ。私は……もっと、もっと、たくさん、いろんなことを経験したいのに――)
 ドアを叩く音がした。
「入っても良いか」
 厳かな男の声がそれに続いた。マルグリットは、ハッとなって顔を上げた。
「あ、はい――どうぞ、お父さま」
「うむ」
 返事とともにドアが開かれ、父が部屋に足を踏み入れた。
 娘であるマルグリットに対して、常に穏やかな慈愛と憐憫をたたえる父――だが、今日ばかりは、その相貌は息の詰まるような厳しさに満ちていた。
「お父さま……?」
「来なさい」
 父は言った。力強く――しかし、どこか弱々しく。
「おまえを、治してやる時が来た」


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