地獄蝶々



CHAPTER.04

『決意烈然』







 連れて来られたのは、謁見の間であった。
 普段、父が臣民に謁見し、対話する場所だ。執務室と並んで、領王たるべき者の仕事場と呼ぶことができる。他国の使節団を招き入れることもあるため、軽く百人は入れるだけの広さを誇っている。
 その中央に、マルグリットは立たされた。
「お父さま……?」
 不安を覚えながら、目の前の父に声をかける。
 謁見の間には、他の何者の姿もない。父その人が人払いを命じたのだ。普段、衛兵や従者が控えている空間に、たったふたりだけでいるというのは、なんとも落ち着かない気分だった。
「じっとしていなさい」
 言いながら、父は何かを取り出した。
 刀身のひどくねじくれた、焦げ茶色の長剣だった。
「これを持つのだ」
「は、はい……」
 言われるままに、マルグリットは剣を手にした。ずしりとした重み。病弱な姫君である彼女にとっては、振るうこともできないほどの重量感だ。
「これから儀式を執り行う」
「儀式……?」
「おまえの身体を治療するための儀式だ。おまえは決してそこを動くな――」
 言って――こちらの答えも待たず、
 父は、厳かに何かを唱え始めた。
「――――」
 なんと言っているのかは、まるでわからなかった。とにかく異様で禍々しい、不可解な言葉の連なりが、父の唇から吐き出された。その不気味さに、マルグリットはぞっとするものを覚えた。
 変化は、すぐに訪れた。
 手にした剣が、ぼうっと蒼く光ったかと思うと――突如として、刀身全体が発火したのだ。
「!?」
 ぎょっとして、マルグリットは手を離そうとした――だが、できなかった。長剣の柄がぐにゃりと変形して、彼女のたおやかな掌に巻きついていたのだ。
「な、なに……!?」
 少女の悲鳴に構わず――火は、燃え広がって。
 蒼い炎が、その全身を包み込んだ。
「あ、ああっ、あああああああああああああああああああああっ……!?」
 一瞬で火だるまになった少女は、過酷な熱気と激しい苦痛にさらされて、恐慌に陥った。じたばたともがき、地面をのたうち回る――炎は消えてくれなかった。それどころか、ますます火勢を増すのだった。
「耐えるのだ、マルグリット!」父王が絶叫した。「耐えろ――耐えるのだ! そうすれば、おまえは……」
「陛下ッ!」「何事ですか!?」
 少女の悲鳴を聞きつけたのか、外で待機していたらしい衛兵たちが、謁見の間に踏み入ってくる足音がした。
「こ、これは……」「まさか、姫!?」「は、速く消火を……!」
「ならぬ!」
 父の一喝が、兵たちを絶句させた。
「これは儀式ぞ! マルグリットを生まれ変わらせる、蒼き炎ぞ! この炎に焼かれることで、マルグリットは不死を手に入れる! 病魔から解放されるのだ!」
「し、しかしッ……!」「どうなってんだ!?」「陛下、お気を確かに!」「ええい! わしは正気だ! 離せ、無礼者!」「姫――つうっ! だめだ、近づけん!」「誰か、布を用意しろ!」「いや、水だ! とにかく水を!」
 周囲の騒ぎを、マルグリットはほとんど聞いていなかった。それどころではなかった。炎は身体の表面を焼くだけでなく、口内から侵入し、少女を内側から焼き焦がした。脳も視界も、すべてが蒼く染まるようだった。何も考えられず、絶叫するしかなかった。
「だめだ、止まらん!」「おい、待て――なんだか、広がっていないか?」「ひっ! こ、こっちに来る!」「おお――猛く燃えておるわ! これなら――」「陛下、お下がりくださ――ぎゃあっ!」
 燃える。焼ける。すべてが。問答無用で。舐め尽くすように焼き焦がされる。激痛。絶叫。それすらも燃え。ただ蒼だけが満ち。自分の身体が崩れていく。灰となって。失われていく。あるべきものが。無慈悲な炎の奥へと消える――
「あぁああぁあああああぁあああぁああああ――――――――ッ!」
 マルグリットは、必死に叫んだ。泣き叫び続けた。焼き尽くされることへの、せめてもの抵抗として。自分の知っている自分を保とうとして。すがりつこうとして。
 流れこぼれる涙すら、炎のなかで消えていく――

「あぁあああ……ああ……あ……あ……」
 叫びが、
「――げほっ! かはあっ……、かっ、かあっ、あぁああっ……、けほっ……!」
 途切れた。
(う――、わ、私……私は……)
 叫んでいた――叫び続けていた。その叫びが、ようやくにして途切れたのだ。
(私は……、どうなって……?)
 朦朧たる意識が、徐々に覚醒していく。どうやら床に倒れているようだった。マルグリットは、頭を振りながら起き上がり――
 周囲のさまに、絶句した。
 謁見の間であった。
 ただし、燃え尽きていた。
 あちこちに、蒼い炎の残り火が揺れている。石造りの壁や天井は無惨に焦がされ、絨毯は大部分が焼失し、残った部分も縮れていた。王権の象徴たる玉座さえ、もはやただの黒ずんだ塊でしかなくなっていた。
(わ――、私は!?)
 マルグリットは、慌てて自身を確かめた。
 無事だった。
 細い体躯も、滑らかな肌も、金色の髪も。すべて無事だった。炎に焼かれた痕はおろか、焦げ跡さえ見当たらなかった。ただ、半ば炭化した衣服の残骸だけが、自身の受けた炎熱の凄まじさを主張していた。
(なぜ――どうして、私だけが……?)
 かつてない動揺に怯えるマルグリットの前で、何かが、ぬらり・・・と立ち上がった。
 真っ黒な人影だった。
 全身を焼かれて黒焦げになった、父王その人であった。
「お、父……さま……」
 茫然と眼を見開くマルグリット――
「なに……、それ……」
 彼女の視線は、父王の両腕に向けられていた。
 彼の両腕は、肩口から指先に至るまでが五叉に別れていた。そして、それぞれの先端がゆらゆらと動き、緑色の体液を滴らせていた。
 父が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 白濁した眼に、かつての面影は――理性や知性の光は、まるでなかった。
「ひ――」
 怯える少女に、五叉に別れた右腕が伸ばされる――
「あ、あ、あああぁああああああっ……!」
 反射的に――
 マルグリットは、手にしたままの武器を跳ね上げていた。
 彼女の膂力では持ち上げることさえ難しいはずの長剣で、迫り来る右腕を迎撃し――ざっくりと、断ち切ってみせた。
 戸惑うように、父が退く。断たれた腕は、じゅうじゅうと煙を上げ、おぞましく盛り上がって再生し始めていた。
(い、今だ!)
 途方もない混乱に見舞われながらも、マルグリットはそこに活路を見出した。
 謁見の間は城の二階に位置しており、王族の部屋や執務室が設置された三階とつながっている。その階段が、父の背後に見えていた。
「く、ううううっ!」
 頭のなかが真っ白な状態で、それでも必死に父の脇を駆け抜ける。こちらの攻撃を警戒してか、父はバッと進路から飛び退いていた。全力疾走など、実に十年振りくらいの行為であったが、なぜか身体は軽やかに動いてくれた。
 とにかく、今は安全な場所に逃げなければ――
 マルグリットは、脇目も振らず、階段を駆け上った。


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