地獄蝶々



CHAPTER.04

『決意烈然』







 三階に上がった彼女は、まず目についた部屋に飛び込んだ。
 その部屋も炎の洗礼を受けていたが、人の――あるいは、父が変化したような異形の怪物の――気配はない。
 激しく肩を上下させながら、ふらふらと、隠れる場所を探して部屋の奥に進み――
 ふと、床に散乱している書類に気がついた。
 どうやら、ここは父の執務室であったらしい。
 床に、さまざまな書類が乱雑にぶちまけられていた。そのほとんどは炎に焦がされ燃え尽きてしまっていたが、なんとか読めそうなものも見受けられた。
「これ……」
 つぶやきながら、剣を持たない左手で一枚の書類を拾い上げ、目を通す。
 茫洋と文字列を追いかける瞳は、すぐに凝然と見開かれていった。
「……っ!」
 がばっ、と床にしゃがみこみ、無事な書類をかき集める。
 文字通り断片化した情報をまとめて――マルグリットは、止まらぬ震えに襲われた。
 書類は、父が集めたらしい文献の一部や研究結果・・・・の類だった。
 そこに、父の真意が刻まれていた。
 ――病弱なマルグリットを救うべく、ほうぼうに手を尽くしたこと。
 ――死術という禁忌の呪法を知り、その使い方を知ろうと躍起になったこと。
 ――あの蒼い炎こそ、父の求めた死術であること。
 ――その炎に焼かれたものは、不老不死を得ること。
 ――その儀式を行うために、死者の骨から削り出した魔剣《擬するもの》を取り寄せたこと。
 詳細はつかめなかったが、おおよその状況を察するに足る情報が、そこにはあった。
 書類のなかには、書簡もあった。エィリアス――という男からの返事であった。エィリアスは何度か城を訪れたことがあり、マルグリットも父の個人的な知り合いとして紹介されたことがある。落ち着いた威圧感を持つ不思議な人だと感じていたが……書簡を読んだ限りでは、父は死術を求めてエィリアスと出会い、彼から死術の手ほどきを受けていたようだった。
(じゃあ……、お父さまは、私を治療しようとして――)
 そこでマルグリットは、ハッとして窓に駆け寄った。
 この城は、領都イスルの中央部にある。高級なガラスがはめ込まれた窓からは、イスルの街並みが見えるはずだ。
 窓を開いて――
「…………」
 マルグリットは、絶望のあまり、がくりと力なく肩を落とした。
 街は、焼かれていた。
 見渡す限りの街並みが焼かれ、黒い灰混じりの風が吹いていた。
 まだ、あちこちに残り火が宿っている。見間違えようもない――あの蒼い炎だ。
(儀式が……失敗した……?)
 マルグリットを焼いて、不死をもたらす。それだけのはずだったのに。
 蒼い炎は――おそらく、領都イスル全土に広がってしまったのだ。
 街も、人も、みな炎に焼かれて――
(父さまは、怪物と化していた……あれは、あの炎のせいなの? じゃあ、あの炎に焼かれた、街中の人々は……)
 死んだか――あるいは。
 父と同じく、化生となったか。
(私だけ、無事なのに……みんな……私のせいで……)
 守るべき民たちの幸せな暮らしが、根こそぎ奪われてしまった。
 その事実に、マルグリットは気が遠くなるのを感じた。いっそ正気を失ってしまいたかった。受け止めようもないほど凄絶な自責の念が、心という心をずたずたに刻んでいた。
(私の……せいなの……?)
 かたかたと、細い肩が震えていた。
(わ、私は――私は何もしていない! 父さまが勝手に儀式を行っただけで――私は知らなかった! こんなことになるなんて!)
 縮こまり――うずくまる。殻に閉じこもるように。自分自身を守るように。
(私のせいじゃない――私のせいじゃ――だ、だって、こんなの、私にはどうしようもなかったことじゃない……!)
 ばんッ、とドアを破る音が少女の苦鳴を打ち破った。
 振り向くマルグリットの相貌から、完全に血の気が失せていく。
 入り込んできたのは、異形のものだった。やはり、怪物と化したのは父だけではなかったのだ。
 ただ――問題は、そんなことではなかった。
 巨大な蜘蛛のように肉色の足を無数に生やした怪物の胴体は、まるごとそのまま、肥大化した人間の顔となっており――
 そして、その顔には、絶望的に見覚えがあったのだ。
「ティム……」
 悲痛の声に、少年は答えない。虚ろな眼で、ぎちぎちと歯を軋ませながら近づいて来る。
 もはや、恐怖さえ感じなかった。
 泥濘のような絶望だけが、少女の心を取り巻いていた。
 怪物が、無数の足をがさがさと動かして近づいてくる。その接近を、マルグリットはぼんやりと見つめているだけだった。
 そして、怪物が一本の足を振り上げ――
 叩きつけてきた。
 無抵抗の少女の腹部を、鋭利な先端が貫く。胃の腑がぐちゃぐちゃにかき乱され、込み上げた熱が口からほとばしる。すぐに引き抜かれる――紅蓮の血潮が、怪物に降り注ぐ。
 怪物は、歓喜の声を上げた。
 見知った少年の顔をした蜘蛛が、びしゃびしゃと己を濡らす血飛沫に恍惚となって酔う。
 その光景を眺めながら、マルグリットは膝を着いた。
(終わる……)
 安堵感が、全身を包んでいた。それでいい。その方がいい。ただひとり、こんな地獄に取り残されるより、よほどいい。かつては心底から拒んでいた死が、今は何よりもありがたい慈悲とさえ思える――
 じゅううぅう、という音と煙が、そんな感傷を阻害した。
「!?」
 傷が、癒えていた。
 ぶち開けられたはずの風穴が、みるみるうちに塞がっていき――やがて、痕跡ひとつ残さず消え失せてしまったのだ。音と煙は、それに伴うものだった。
 先ほど目を通した書類の内容が、脳裏をよぎる。
(不死をもたらす蒼い炎――それに焼かれた箇所は、どんな負傷からも再生する……)
 自分だけ、免れたのではなかった。
 父の狙いは、正しく果たされていたのだ――都ひとつを犠牲にしつつも、娘に不死を与えるという願いだけは、叶っていたのだ。
 自分は、もはや死ねないのだ。
(ということは……お父さまも?)
 断たれた触手が再生し始めていた光景を思い出す。
 蒼い炎に焼かれた者は不死となる。
 だとすれば、父も――ティムも、そしておそらくはイスル中の民たちも――みな、異形のまま、不死者と成り果ててしまったのだ。
 マルグリットだけが、異形と化さずに不死を得た――
 そう理解した時、おそるべき戦慄の雷がマルグリットを撃った。
 自我も知性も理性も失い、生き血を求めるだけの異形の怪物となって――死ねない。
 絶望と言うなら、それこそが絶望ではないのか。
 人としての尊厳を奪い尽くされた彼らに比べれば――
 己の境遇など、嘆けようはずもない……
 ぎゅぅるがあぁあああああ……!
 咆哮を上げながら、ティムがこちらを向く。もっと血を。もっと熱を。そう叫ぶように。求め、焦がれ、懇願するように。
 マルグリットは、長剣の柄を握り締めた。
 こんなティムの姿を見てなお、自分のせいではないなどと、言えようはずもない。
(私が――私の存在が、彼らの絶望を招いたというのなら……!)
 振るわれる足を、かわす。
 驚くほど俊敏な挙動だった。不老不死だけでなく、身体能力それ自体も死術によって強化されたのだろうか。
(私にできることは――ひとつしかない)
「あなたたちを、葬ることだけしか……!」
 烈然と、そのまなじりを裂いて。
 マルグリットは、踏み込んだ。
 猛然と突きを放ち、ティムの顔を貫き穿つ。長剣の刀身が、少年の皮膚を破り、ぞぶりと肉に喰らいついた。
 だめだ。死なない。ティムが身をひねる。剣ごと振り払われたマルグリットの、その右腕が、蜘蛛の脚部で叩き潰される。
 激痛。しかし怯まない。怯んでなどいられない。苛烈なる必死の形相で、少女は長剣を左手につかむ。「がぁあああぁああッ!」絶叫とともに振るい、右腕を潰す脚部を弾き飛ばす。
 起き上がる。その間にも、右腕が再生している。蜘蛛の追撃をがむしゃらにかわす――
 ――全身を、蒼い炎で焼かねばならない。もしも焼けなかった箇所があれば、そこだけは不死を得られない。
 読んだばかりの書類の内容を想起しつつ、ティムの異形に視線をやる。
(焼かれていない場所は……どこかにない……?)
 あった。見つけた。
 蜘蛛の胴体――顔の裏側。そこには焦げ目が見当たらない。
 だが、そこを打撃するには、蜘蛛の足による攻撃を切り抜けて、その内側に跳びこまなければならない。
 身体能力を強化されたとはいえ、武術のたしなみどころか、ろくに運動もしてこなかったマルグリットでは、そんな真似は到底できない――
(できないのなら、できるようにすればいい)
 少女は、すでに決意を固めていた。
(私は不死だ! 死なぬ者だ! ならば――何度死んでも、相手を殺せるようになるまで、挑み続ければいいだけのことだ!)
「ああぁああああぁああああああッ!」
 烈駆。
 振り下ろされる足を切り払い、内側に侵入しようとする――別の足を避けきれず、左肩口から脇腹にかけてを一撃で破壊される。鎖骨が砕け、心臓が裂ける。「ぐうっ!」壮絶な痛みと、再生の気配を感じ取りながら、前へ。足が来る。左顔面を叩き潰される。「うぅうううっ!」構わず前へ。鮮血をぶちまけながら、滑り込むようにして、蜘蛛の足元――胴体の真下へと至る。
 そして、下から剣を一閃した。
 ティムの咆哮。
 マルグリットの剣は、やわらかな肉を引き裂いて、紫色の血潮を噴き出させた。だが、ティムは止まらない。暴れている。これだけでは足りないのだ。もっと威力を!
(剣でなく、もっと重い武器だったら――)
 踏み潰されないよう回避に専念しながら、歯噛みする――
 瞬間、『ばきんッ!』という音が、手のなかで響いた。
 見れば、手にした剣が、幅広の刃を備えた戦斧へと変わっていた。重量も、外見相応に増しているのがわかる。
(《擬するもの》――)
 その名を思い出しながら――マルグリットは、屹然として真上を見上げた。
 そして、放った。
 ずっと自分を支えてくれていた少年に対する、万感の思いと――そのすべてを乗せた、熾烈なる一撃を!
「おぉおおおおおおぉおおおぉおおおおおおッ……!」
 重厚なる一閃が、ティムの胴体を完膚なきまでに切り裂いた。
 ティムが、びくりと痙攣し、動きを止める。
 慌てて足の外側へと飛び出すマルグリットの背後で、異形の蜘蛛は、ずぅんッ、と床に倒れ伏した。
 びくびくと震えていたその身体は、やがて、得体の知れない紫色の液体へと融解していく――
 そのさまを、マルグリットはじっと見つめていた――奥歯を噛み締めながら。
(……まだだ)
 悲痛さを押し殺すようにして、頭を振る。
(まだ――こんなところで、止まってなんていられない……)
 イスルには、およそ十万の民が暮らしていた。
 その全員が、異形の怪物となったのだとしたら――
 彼らすべてを葬り去るまで、歩みを止めるわけにはいかないのだ。
 意を決し――マルグリットは、《擬するもの》を鋭く振るった。
 心に応え、斧が変形――少女の全身を覆う漆黒のドレスと化す。
 胸元をきゅっと握り締めるようにして、装束の着心地を確かめる。
 『ばきんッ!』と服から長剣を分離させ、たおやかな掌でしっかりと握る。
 そして――マルグリットは、ゆっくりと歩き出した。
 苛烈な決意の光を宿した瞳は、いつしか鮮やかな真紅に変わっていた――



 クロアゲハは・・・・・・、ぱちりと目を覚ました。
 即座に周囲の状況を認識する。
 自分のために宛がわれた、パウラの城の一室――ではない。小奇麗ではあるが、数段見劣りする部屋だ。その隅に置かれた寝台の上で、彼女は目を覚ましたのだった。
(そうだ――今は)
 パウラたちともども、とある領国に招かれたため、その領都を目指している途上だ。ここは、街道沿いの宿場である。
 夢の余韻を思い出しながら、クロアゲハは上体を起こした。
 まず確認するのは、寝台の脇に立てかけてある《擬するもの》の存在だ。
 手を伸ばし、柄をつかむと、慣れた感触が返ってくる。
 あれから、もう何度死んだかわからない。
 気の狂いそうな死と激痛に苛まれながら、クロアゲハは一心不乱に戦ってきた。
 自らのせいで不死者と化した領民全員を、葬ってやるために。
(その誓いは――まだ、折れていない)
 毛布を払いのけ、静かに立ち上がると、ほっそりとした裸身があらわとなった。
 傷ひとつない滑やかなる肌の上から、少女はいつもの衣服を羽織った。
 漆黒のドレス。
 誓いを果たすまで明けることのない、彼女にとっての喪――そのもの。
(さあ――行こう)
 きゅっと胸元を調整し、クロアゲハは部屋の扉に視線を向けた。
 その眼差しは、どこまでも揺るぎなく、朝の清浄な空気を貫き裂いた。


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