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≪吹雪く刃の騎士ぞ舞う≫


※作中に出てくる設定のほとんどは、ノリで勝手につけられたものです。
基本、信用しないでください。




 少年の目には、舞い散る雪片が、細かな刃のようにしか見えなかった。
 なにしろ、分厚い甲冑を着込んでいてさえ入り込む冷たい吹雪が、じんじんと肌を痛めつけていくのだ。身を切る寒さ≠ニは言うが、まさか、それが比喩でないとは思わなかった。
 暖気剤ホットドリンクを飲み、全身の体温を上げていてさえ、これなのだ。凍土というのは、およそ人間の踏み込むべき場所ではないのではないかと、思わずにはいられなかった。
「ターゲットは、もっと奥地にいるわ」
 涼やかな声が、傍らで響いた。
 吹雪のなかにあってなお、蒼い眼に冷然たる光を宿した少女だ。全身を、青みがかった毛皮で覆い、背中に折り畳み式の重火砲ヘビィボウガンを負っている。
 まばゆいほどに白い肌や、落ち着き払った立ち居振る舞い、凛とした声音から、少年はいつも、雪の精霊のような少女だと感じていたが――ここに来て、その印象を覆さざるを得なくなった。
 この子は、はらはら舞い降り、儚く消えていく雪のイメージではない。鋭く冷たく切りつける、凍土の吹雪そのものだ。
暖気剤ホットドリンクの数にも限りがあるのだから……のんびり観光している暇はない」
「わかってるよ」
 少年は、白いため息を吐き出しながら答えた。
「どうせ、どこまで行ったって、白い雪原と銀色の山脈が続くだけでしょ? ターゲットを探してれば、きっと、いやっていうほど観光した気になるさ」
 がしゃり、と金属製の甲冑を擦れさせ、歩き出す。少女も、うなずいてから、それに従った。
 少年の言葉通り、凍土は一面銀世界という奴で、降り止む気配も見せない吹雪によって、大地はほとんど霜と雪に覆われている。山脈地帯にあるため、あちこちに岩山の一部が見えているが、どれも似たような感じで、ともすれば現在位置を見失ってしまいかねない。ハンターギルドから事前に提供された地図を頭に叩き込んではいたが、ちょっとした木々や洞窟などを目印として覚えておかなければ、帰ることもできないだろう。
「ていうか、こんなトコでも植物って育つんだ……」
「太陽が見えないわけじゃないから。当然、寒さに耐性のある植物に限られるけど、そういうのって結構あるのよ。必然的に低気温になる高山地帯の植物なんて、その例ね」
「へえ……相変わらず、博識だね」
「ほとんどは師匠の受け売りよ」
 誇らしい風もなく、少女は淡然と答える。
 彼女が、若くして狩人ハンター仲間から一目置かれ、蒼阿修羅≠ニ呼ばれているのは、当然、彼女自身の実力や沈着たる精神力によるものだが、彼女の師の評判も大きく作用している。仲間を連れず、ただ独りで数々の強大なモンスターを狩ってきた伝説的ハンターの、唯一の直弟子なのだ――狩猟におけるノウハウや戦技の数々、加えてきわめて実用的な知識を、彼女は余すところなく受け継いでいる。
 まだ駆け出しの狩人ハンターである少年が彼女と組めているのは、僥倖と言うしかなかった。
 いかに優れた実力を誇るとはいえ、後衛ガンナーである彼女にとって、前に出て敵と切り結んでくれる前衛の存在は欲すべきところである。しかし、彼女はなかなか仲間を得られなかった。近づいて来るハンターは多かったが、そのほとんどが、彼女のお眼鏡にかなわなかったのだ。実力ではなく――その品性において。
 少年は、強大種である彩鳥クルペッコ討伐の依頼クエストの最中、危機に陥った。クルペッコには、他の強大種の声真似をして呼び寄せるという特性があり、結果、少年は二体の強大種に挟まれることとなったのだ。
 その時、通りがかったのが、この少女だった。
 ふたりは連携して、クルペッコと狗竜ドスジャギィを討伐した。熟練のハンターである少女にとっては大した敵ではなかっただろうが、少年は、死の淵に立っているような気分での、おそるべき激戦として記憶している。
 その後、礼を言いつつギルドに戻ったところで、『次のクエストの予定は決まっているの?』と声をかけられた。特にない、と答えると、その場で少女が勝手にクエストを申請してしまった。以来、いくつかのクエストを、協力してこなしている。
 なぜ、彼女が自分と組もうと思ったのかは、さっぱりわからないのだが――少年にとって、彼女は雲の上の存在にも等しい憧憬の対象であったから、この幸運を逃すまいとして、彼は奮起しているのだった。
(まあ、どんなに気を張ったって、やれる限りのことをやるしかないんだけど……)
 思いつつ、足を進めていると、少し開けた雪原に出た。降り積もる雪の下は、ほとんど氷の層になっている。
 霞む吹雪の奥に、岩山で分割されたみっつの道が見えている。
 さて、どこから行こうか――と思案していると、
「待って」
 少女が、わずかに緊張をにじませた声を上げた。
「左手。ポポが倒れてる」
 慌てて、少年はそちらに目線を向けた。
 こんもりと雪の盛り上がっているところがあった。よく見れば、長く茶色い毛皮の一部が覗いている。凍土に住まう、鈍重な四足獣ポポのものだ。
 ふたりは、用心しつつそこに近づいていった。
 雪を払いのけると、むわっとする血臭と死臭が漂ってきた。死んでいる。横倒しになったポポのはらわたが、ごっそりと抉られていた。
「大きな顎で削られた痕ね……」しゃがみこみ、手袋に覆われた指先を屍に這わせつつ、少女は言った。「小型種の仕業じゃないわ。強大種に喰われてる。まだ温かい……この近くにいるはずよ」
「奴かな」
「おそらくは」
 うなずきつつ、少女は立ち上がった。
「傷口の周辺が、ざっくりと切り裂かれてる。食事用となる短く細かい牙の両脇に生えた、大きな一対の牙によるものだと思うわ。そんな強大種は、ここには一種しかいない――」
 すう、と刃の眼を鋭く細め、彼女は力強く断定した。
「まちがいない。この先にいるわ。氷牙竜――ベリオロスが」
「ベリオロス……」
 ごくりと、少年は唾を呑んだ。
 凍土に住まう、翼ある白き牙竜。今回のクエストのターゲットである。少年にとっては、これまでで最強の敵となる。
「ポポの位置からすると、まんなかの道に行ったかな」
「たぶんね。あの先には洞窟があったはず。ひょっとしたら、ベリオロスの巣に通じているかも」
「行ってみよう」
 うなずいた、その時だった。
「あいにくと、そいつは困るんだニャ・・!」  子供のそれのような、甲高く愛らしい声が聞こえた。
 次いで、雪と氷を弾けさせながら、周囲の地面から黒く小さな影が跳び上がった!
「!?」
 背中合わせになって身構えるふたりを囲んだのは――
「参上ッ!」
 鈍くきらめく鋼の鎧。携えたるは剣と楯。その姿は、さながら王に仕える騎士のそれ。
 ただし――その騎士たちの体躯は、少年たちの腰ほどまでしかなかった。
 全身を覆う黒い体毛が、穏やかに艶めいている。くりくりとした眼は愛らしく、ひくひく動く鼻はかわいらしいピンク色。穴の開いた兜から、ぴんと突き出た三角形の耳は、驚くほどの愛嬌に満ちている。
 彼らは、きりりと表情を引き締めながら、剣を掲げて唱和した。
「我ら、メラルー白銀騎士団! ……ニャ!」
 ふたりは――蒼阿修羅≠フ少女ですら――あっけに取られ、ぱちくりとした。


2


 メラルー――
 簡単に言えば、直立二足歩行をする猫のような獣人種族である。
 人間並みの知能を備え、人語を解する。また、意外に手先が器用で、さまざまな道具を駆使する。 近似種であるアイルーは、人里に出て商業や農業をこなすなど人間と共存している者が多いが、メラルーたちはもっぱら、徒党を組んで、道行く人々から物資を強奪することを生業としている。相手がハンターであろうとも強奪を敢行するあたりは、勇猛果敢であると言える。
 厄介な種族だが、あくまでも盗みが目的であり、人を傷つけることはほとんどない。そのため、愛らしい容姿とあいまって、人間側には愛好家が多いらしい。
「……えーっと」
 少年は、武器を構えるべきかどうか悩みつつ、とりあえず声をかけてみることにした。
「メラルー白銀騎士団……だって?」
「そうニャ!」
 メラルーたちは、誇らしげに胸を張った。
「見てわかる通り、騎士の出で立ちに身を包んだ、誇り高きメラルー族の戦士ニャ!」
「……どうせ盗品なんじゃないの?」
「失礼ニャ!」
 少女が眉をひそめると、メラルーたちはじたばたと抗議した。
「ボクらの装備は、ちゃあんと自分たちで作った物だニャ! ……まあ、ちょっと、アイルーたちに手伝ってもらったりもしたけどニャ!」
「白銀騎士団は、盗みなんて働かないのニャ!」
「悪を許さず、正義を為すのが団の誓いだニャ!」
 口々にわめき立てるメラルーたち。
「あー……」
 少年は、困惑して頬をかいた。
「なら、ちょっとどいてくれないかな? 僕らは、ベリオロスを追わなきゃいけないんだ」
「だーかーらー! それがダメだからボクらが出て来たのニャ!」
「ダメって……、なんで?」
「ベリオロスは、白銀騎士団の団長だからニャ!」
「はいっ!?」
 思わず、変な声を上げてしまった。
 ベリオロスは、強大種と呼ばれる大型モンスターの一種である。
 彼らは、時として驚くほどの賢さを見せることがある――が、メラルーやアイルーのように、人間並みの知能を有していたり、人語を解したりするとは聞いたことがない。同種族であるならばともかく、異種族であるメラルーたちを率いるなど、普通に考えればありえないことだ。
「団長を倒そうと言うなら、まずボクらが相手になるニャ!」
「覚悟するニャ!」
「正々堂々、いざ尋常に勝負ニャ!」
「ちょ、ちょっと待って!」
「問答無用ニャー!」
 剣と楯を構えて、四匹のメラルーが鬨の声を上げ――
「うるさい」
 轟音に、びくりとなって縮こまった。
 少女の蒼い火砲が、火を噴いたのだった。
 それも、通常弾ではない。高い貫通力を誇り、なおかつ爆薬を仕込んだ徹甲榴弾である。彼女は、それを手近な岩肌に放ち、爆炎と轟音を撒き散らしたのだ。
 がしゃり、とコッキング・レバーを引いて弾丸を再装填リロードしながら、少女は氷河の眼でメラルーたちを見据えた。
「ごっこ遊びに付き合っている暇はないの。邪魔をするなら、今度は散弾をお見舞いするわよ」
「ご、ごっこじゃないニャ!」
 震え上がって後ずさりながら、それでもメラルーは必死に声を上げていた。
「ボクらは本気ニャ! 団長の心意気に惚れ込んで、騎士団の結成を誓ったんだニャ! こ、これくらいのことで怯んだりなんかしないニャ!」
「心意気?」
 少女が、再び眉をひそめる。
「この地のベリオロスは、ハンターを狙っては喰い殺す、凶暴な牙竜よ。ギルドでは、ハンターを狩るもの――猟兵イェーガー≠ニ呼んで、討伐指定をされているわ。だから、私たちが来たの」
「それには理由があるのニャ!」
 メラルーは、大声で叫び――そして、わずかにうつむいた。
「ここは人里に近いから、いっぱいハンターが来るんだニャ。ハンターは、大っきなモンスターからポポの子供まで、容赦なく狩っていくニャ。ベリオロスがハンターを襲うのは、だからなんだニャ。ここのみんなを守るために、騎士として、ハンターと戦っているんだニャ!」
「……ばかばかしい」
 少女は、冷然と切り捨てた。
「モンスターに、そんな心意気≠ネんてあるはずがないわ。ベリオロスがハンターを狙うのは、どうせハンターに傷つけられたことを恨んでのことでしょう。それがあなたたちには、この地を守る騎士のように見えただけよ」
「そ、そんなことないニャ!」
「都合のいい幻想は捨てなさい。さもないと、本気で撃つわよ」
 彼女は、どことなく苛立っているようだった。なんだかいつもと雰囲気が違う。そのことを不思議に思い、少年はわずかに少女を振り向いて――
 ハッとなり、その腕を引いた。
「危ないッ!」
 彼女を抱きかかえるようにして、全力で跳ぶ。
 雪を蹴散らし、氷の層を削りながら転がる――即座に起き上がる。
 その背後で、凄まじい振動音が響いていた。
 爆砕された雪と氷が、びしびしと身体に当たってくる。
 ふたりは、すぐさま離れ、武器を構えた。
 ほとんどすぐ目の前に、敵の姿があった。
 翼ある、白き牙竜の姿が。
 小屋ほどもある巨体は、白雪の鱗に覆われている。大地をしっかりと踏みしめる四肢に匹敵する太さを持つ尻尾が、獲物を求めてゆらゆら揺れる。飛竜種の証である皮膜は両前肢に付随しており、鋭い棘がびっしりと生え揃って、その凶悪さを誇示していた。
 零下の白騎士=\―ベリオロス。
 探し求めていたターゲットが、自ら姿を現し、急襲を仕掛けてきたのだった。
 細い眼が、じろりと少年たちを見下ろしてくる。視線そのものに重みがあるのではないかと錯覚するほどの圧力が、少年の全身を打ち据えていた。
 口元から飛び出した左右一対の長い長い牙を受ければ、甲冑の厚みなどひとたまりもあるまい――という、強者に対する純然たる恐怖もあるが、それだけではない。
 ベリオロスの瞳には、おぞましいまでの殺意が満ちていた。  ただの、獲物を狙う瞳ではなかった。煮えたぎる敵意と殺意が、そこにはあった。もはやそれは憎悪と言うべきものですらあった。その憎しみの深さこそが、真に少年を圧迫する要因であった。
(なんだ……こいつ)
 違う。これまで戦ってきた強大種とは。力ではなく――その精神が。
(こいつは……明確な意思を持って、僕たちを狙っている!)
 鎌首をもたげるようにして、ベリオロスが獰猛に吼えた。
 鼓膜をつんざくような咆哮――距離が近すぎた。少年も少女も、顔をしかめてうずくまりそうになる。
 自ら戦いの号砲を上げたベリオロスは、ジャッとわずかに跳び上がり、右半身を前に構えた。
 そして、体当たりが来た。
 巨体の重量を活かした、猛然たる突撃。まともに喰らえば、全身の骨が粉砕され、内臓が破裂するだろう――少女は左に転がり、少年は右にステップして、これをかわした。
 起き上がりざま、少女がボウガンを放つ。先ほど仕込んでおいた散弾だ。顔面を狙う攻撃だったが、ベリオロスは、右前肢の翼でこれを受けた。細かな無数の弾丸が、皮膚表面で弾け散る――いくつかが鱗に食い込んだ程度でしかない。ベリオロスは、防御の角度を調節することで、散弾のほとんどを受け流したのだ!
 反対側で、少年は大楯と巨槍ランスを構えた。
 少女を狙わせるわけにはいかない。前に立つのは自分の役目だ。たとえ相手がどれほど恐ろしかろうとも、逃げることなど許されない。
「おぉおおおぉおおおおッ!」
 叫びとともに、少年は突撃した。
 ランスの重量を、全力でベリオロスの側面に叩きつける。鱗を破り、肉を貫く感触。ベリオロスが苦鳴を上げる。
 その隙を狙い、少女がボウガンを連射する。散弾の嵐が、ベリオロスの右側面を叩いた。少年の攻撃によろめいていたベリオロスは、散弾を防御しきれない――びしびしと、細かな穴が穿たれていく。
 ベリオロスは、怒りの咆哮を上げた。
 意外なほど鋭くバックステップ――散弾の範囲から逃れつつ、ランスを身体から抜く形になる。そして、即座に身体を急速回転。棘だらけの太い尻尾が、ごうっと眼前を薙ぎ払ってきた。
 少女は幸い射程外だが、少年はそうもいかない。逃れようにも、尻尾の長さはそれを許してくれない。咄嗟に、楯を構えて防御姿勢を取る。
 激甚なる衝撃が、楯の上から少年の全身を叩いた。
「くうっ……!」
 後ずさる。衝撃は、楯と鎧が大きくしのいでくれた。それでも、身体の奥まで突き抜けるような痺れが、少年を襲っていた。
 少女が弾倉をリロードする間に、ベリオロスは翼を広げた。飛ぶ。大地を蹴りつける強烈な跳躍からの滑空。ちょうどガード姿勢を解いた少年めがけて、身体全体で跳びかかってきた。避けられない――身をひねるものの、大きな翼に引っかけられる。
「がっ……!」
 衝撃。吹き飛んで、雪原を荒らす。咄嗟に受け身を取ったので、頭部は無事だ。しかし、激痛が全身を苛んでいた。
(たった一撃で……これか!)
 何体もの強大種との戦いを経て、実力をつけてきたつもりだった。少女をかばい、前に出て、敵の重い一撃を何度も受けきってきた。被弾することも当然あったが、そのたびに立ち上がってきた。
 なのに――今は。精神力を総動員して痛みを堪え、ゆっくりと起き上がることしかできない!
 追撃をかけようとするベリオロスが、翼で散弾を防御する。少女の掩護射撃だ。それがなければ、少年は血色の牙に貫かれていただろう。
 だがそれは、標的が少女に変わったことを意味する。
 その事実が、少年の意志を奮い立たせた。
(立て……ッ!)
 立ち上がる。「がぁあああぁあっ!」咆哮する。少女の方に身体を向けた、ベリオロスの注意を惹く。
 同時に、
「だ――団長に続くニャー!」
 突然の事態に茫然としていたメラルーたちが、ようやくわれに返って、こちらに突進してきた。
 少年は歯噛みした。メラルーたちが戦列に加われば、こちらはさらなる苦戦を強いられる。
 やりたくはないが、まずはメラルーたちから片づけなければ――
 瞬間、ベリオロスが尻尾を振るった。
 太い尻尾の薙ぎ払いが、メラルーたちをまとめて吹き散らす。
「……!?」
 四体のメラルーは、激しい打撃に吹き飛ばされて、ごろごろと雪原を転がった。「うにゃあ〜……」そのまま、目を回し、ばたりと失神してしまう。
 彼らはベリオロスに心酔していたが――ベリオロスから見れば、彼らを味方と考える理由は何もなかったのか。
 視界の隅で、息を呑んだ少女が、ぎりッと奥歯を噛み締めるのが見えた。
「このッ……!」
 徹甲榴弾が放たれる。ベリオロスは、すばやくサイドステップを踏んでこれをかわした。巨体に見合わぬ、驚異的な俊敏さだ。氷の層で滑りそうになる体躯を、全身の棘をスパイクのごとく撃ち込むことで制御している。
 そして、ベリオロスは少女めがけてその身をたわめた。
「くそっ……!」
 慌てて、少年は走り出す。
 間に合わない。ベリオロスが、容赦なく少女に跳びかかった。
「ッ……!」
 少女は咄嗟に横転し、からくも逃れた――頭上すれすれを、長く横に伸ばされた翼が通り過ぎていく。
 起き上がると同時に、リロード。跳びかかりをかわしたことで、少女はベリオロスの背後に回った形になっている。相手が振り向くより早く弾丸を叩き込むつもりだ。
 対して、ベリオロスは――
 無造作に、尻尾を振った。
 振り向くこともせず、少女がいるであろう背部に攻撃を仕掛けたのだ。
「!」
 高速で迫る尾が――
「……おぉおおおッ!」
 ようやく追いつき、少女に体当たりした少年の身体を撃ち叩いた。
「――ギータ!」
 少女が血相を変えて叫ぶ。
 少年は、地に叩きつけられていた。
 今度は受け身を取る余裕もなかった。頭部を守る兜が、氷の層を割り砕いている。視界が何重にもぶれ、焦点が定まらない。
 ここで、ようやくベリオロスが振り返った。変わらぬ憎悪の瞳が、ふたりを貫く。
「……くっ!」
 少女は、ヘビィボウガンを折り畳んで背中に収納すると、懐から何かを取り出した。
 そして、再び身をたわめるベリオロスへ、鋭くそれを投擲する。
 音もなく、閃光が炸裂した。
 一瞬ではあったが、小さな太陽が誕生したかのような強烈な光が、その場一帯を呑み込んだのだ。
「――――!?」
 ベリオロスが、ぐらりとよろけた。間近で閃光玉を炸裂させられ、目をやられたのだろう。苦しそうに頭を振っている。
 その間に、少女は少年のもとまで駆け寄ると、重い鎧の下に小柄な身体をねじこんだ。
「いったん退くわ!」
「う――うん……」
 まだ意識が朦朧としている少年は、少女の力を借りて起き上がり、ともに雪原を走り始めた。
 背後で、悔しげなベリオロスの咆哮が響く。
 今はただ、閃光玉の効果が少しでも長く続くことを祈りながら、全力で逃げに徹するしかなかった。


3


 どうにか、振りきったらしい。
 ふたりは岩陰に隠れ、背嚢はいのうから回復薬を取り出した。飲み干すと、じんわりと身体が痺れる感覚があり、鎮痛効果が作用していく。ふらついていた意識も安定してきた。
 危機を乗りきったことを如実に感じ取り、少年は深々と吐息した。
「だいじょうぶ?」
「うん……」
 少女の問いかけに答えつつ、岩壁に背中を預けて座ったまま、装備を点検していく。
 甲冑の一部がへこんでいたが、戦闘には問題ない。骨も折れていないようだ。痛みさえ引けば、またベリオロスに挑めるだろう。
「強かったわね……」
 少女が、悔しげな表情で言った。
「不意を討たれたということもあるけど。あの巨体で、あの機敏さ――やっぱり、生半可な腕で太刀打ちできる相手じゃないわ」
「そうだね……」
 うなずきながら、それだけでもない、という思いがあった。
(やっぱり、あいつ――)
 ベリオロスの猛攻からは、激烈な意思を感じた。
 憎しみであり、殺意であったが、同時に、どこか気高い決意のようでもあった。ただの獣とは違う。獣は獣だが――そう、言うなれば……
「……もし」
 思わず、言葉が口を衝いていた。
「もし、あいつが本当に、メラルーたちの言う通り、この地域をハンターから守っているんだとしたら――僕たちは、あいつから見れば、悪の手先みたいなものなのかな」
 突然の話題に、少女が不可解そうな顔をする。
「……それが、どうしたの?」
「いや――、だとしたら、僕らのやってることって、どうなのかな、って……」
 じっと、装甲に覆われた右手を見つめる。
「ハンターが、一部の希少なモンスターを乱獲してるのは事実だし……生きるためじゃなく、ハンターとモンスターを戦わせる闘技場を開くために、モンスターやその子供を捕獲することだってある。今回、僕たちは、ハンターを狩るモンスターを退治するって依頼を請けて来たわけだけど……それであいつを倒したら、この地域のモンスターたちを守る存在っていうのが、いなくなるわけでしょ? だとしたら――僕たちのしようとしていることって、本当に正しいことなのかな……」
「……あなた」
 少女は、あきれたような顔をした。
「そんなこと、考えているの?」
「大事なことだよ」
 少年は、真剣な表情で彼女を見返した。
「僕はハンターに憧れて、それでギルドに来たけど……それって、単純に、ハンターっていう仕事がカッコよくって、自分もそうなりたかったからだけど。クエストを請けて、実際にモンスターを狩るようになって――それから、考えるようになったんだ。何も考えずに、ただ報酬がもらえるからっていうだけで、クエストをこなして――命を奪ってしまって、本当にいいんだろうか、って」
「相手は、人間じゃなく、危険なモンスターよ?」
「わかってる。でも、命は命だ。無闇に奪っていいものじゃないはずだよ」
 そして、と、少年は強く続けた。
「命には、心がある。あいつにだって、心があるんだ。あいつからは、何か強い想いを感じる。それを無下にするのって、なんだかちょっと――」
「ばか」
 がんっ、と、手甲で兜を殴られた。けっこう容赦のない一撃だった。少年はうっかり悲鳴を上げた。
「な、何するのさ」
「モンスターと戦ってる真っ最中に、そんなことで悩んでどうするのよ」
 少女は、珍しく、嘆息を吐き出していた。
「確かに、すべての狩りが、生きるために必要なものだってわけじゃないわ。あなたの言ったみたいに、人間の際限ない欲望のためだけに、犠牲になるモンスターだっている。確かにそれは、悪だと言えるかもしれない。でも――わたしたちハンターのしていることは、決して、命を冒涜することばかりじゃないはずよ」
 少女もまた、真剣な眼差しで、こちらを見つめてきていた。いつもの冷然たる光はなかった。まっすぐな、純粋で真摯な輝きが、きらめいていた。
「あのベリオロスは、この地を訪れるハンターを見境なく襲う。そうすれば、モンスターの乱獲は防がれるでしょう。でも、その結果、そうでないハンターも近づけないことになるわ。そうしたら、近隣の集落は打撃を受ける――わたしたちハンターが、危険を冒してさまざまな素材を集めてきたからこそ、人間の生活水準や医療技術は向上してきたのよ。たとえば、古代から作られてきた秘薬は、角馬獣ケルビの角が原料になっているわ。それがなかったら、赤ちゃんの出産における母体の体力維持が難しくなって、出産時の母親の死亡率が上がってしまう……」
 きょとんとして見つめ返す少年に、彼女はこんこんと説明を続ける。
「ハンターだって、より強い武具を作ろうとすれば、強大種の体素材が必須になるわ。それが手に入らなくなったら、どうなると思う? 強大種の人里への進出を防げなくなるのよ。そうしたら、村ひとつ、あるいは街ひとつが蹂躙されてしまうかもしれない……」
 少女は、ぎゅっと胸元を握り締めた。
「わたしたちの戦いは、野放図な欲望を助長するためにあるものじゃない。人々の生活を支えるためにあるのよ。たとえ、悪辣なハンターを生んでしまうという負の側面があるのだとしても……だからと言って、すべての狩りをやめるわけにはいかない。そして、すべてのハンターを襲うあのベリオロスを、倒さないわけにもいかないの」
 少女がしゃがむ。端整な容貌が間近に迫る。どきりとなる少年に構わず、彼女は烈々たる瞳で、告げてくる。
「それでも、あなたはためらうの? 戦うことを……あのベリオロスを狩ることを」
 問いに。
 少年は、わずかに眼を見開いた。
 何かがつかめた気がした。深い混迷の奥に、わずかな光が瞬いたようだった。目の前がぱあっと開け、とてつもない意気が胸から湧いた。そうか、という思いが、全身を駆け巡っていた。
「……いや」
 その気持ちを、少年は、唇から吐き出した。
「ありがとう。わかったよ――自分が、何をするべきなのか」
「……なら、いいわ」
 ふいっ、と少女は顔を背け、距離を開けた。すでに、その横顔には吹雪の冷たさが宿っていた。
 その面差しを見ていると、ふと、疑問がひとつ湧いてきた。
「……ねえ」
「なに? まだ何かあるの?」
「君さ。モンスターに育てられたことがある、って本当?」
 少女は、わずかに眉根を寄せた。
「……そう、言えなくもないわ。育てられたっていうか……ほんの少しの間、保護されてたってだけだけど」
「そうなんだ。じゃあ――」
「だからと言って、あのベリオロスに、崇高な志みたいなものがあるなんて、考えない方がいいわよ」
 少女の言葉は、切りつける刃のようだった。
「私を助けた強大種だって、別に、優しさや慈しみからそうしたわけじゃないわ。単に、都合のいい食糧を保存しておこうとしただけでしょう。そうでなかったら――」
 彼女は、ほんのわずか、唇を噛み締めた。鋭い刃は、振り下ろす先を見失って、だらりと垂れ下がっていた。なんとも言えない切なさが、その切っ先に宿っていた。
 その先を訊くことはためらわれた。戸惑い、話題を転換しようとして――
 少年は、ベリオロスに救われた。
 霞む吹雪の向こうから、巨大な影が、ゆっくりと近づいてきたのだ。
 ずん、ずん、という震動が、定期的に伝わってくる。それは、じょじょに力強さを増していた。首を洗って待っていろ――すぐに殺してやる。その宣言であった。
「……来たわね」
 少女がヘビィボウガンを構える、その前に、少年は強く足を踏み出した。
「ハンターになる前――僕は、騎士ってヤツにあこがれてたんだ」
 右手に槍を――左手に楯を。
「残念ながら、近場にあった王国は数十年前に亡びて、騎士階級もなくなっちゃったから、ハンターになろうって思ったんだけど……」
 身を守る甲冑の重みを頼もしく感じながら、前へ。
「僕があこがれたのは、騎士の栄誉じゃない。誰かを守る――そのために戦う――そういう気高さ、誇り高さだったんだ」
 騒ぎざわめく胸の鼓動に、己の心が息づくことを、しっかりと自覚する。
「考えてみたら、そういうの……ハンターやってたって、目指せるんだよね」
 ベリオロスの威容が、ついに姿をあらわした。
 凶悪にして鋭利なる眼光が、冷たい大気を貫き冴える。血色の牙が鋭く躍り、巨大な翼がのそりと動く。
 零下の白騎士≠フ威名を誇る、吹雪く刃の牙獣を前に――
 少年は、われ知らず、笑みを浮かべていた。
「騎士ってものが、心であり、生き方であるなら――僕も、あいつも、ひとりの騎士だ」
 与えられる栄誉ではなく。授けられる報酬でもなく。
 ただ、己の心の雄叫ぶままに。
「お互いの意思が譲れないなら――」
 たとえ、どちらの心も悪辣ではないのだとしても――激突を、避けられないのなら。
「己の誓いに誇りを抱き、相手の願いに敬意を表し――真正面から、ぶつかるだけだ!」
 そのための、槍である。
 そのための、楯である。
 そのための、鎧であり――
 そのための、魂だ。
「さあ、行くぜ――ベリオロス!」
 応えるように、巨獣が哭いた。
 憎悪と殺意、決意と闘志の咆哮が、少年の全身を突き抜けていく。
 先ほどは、ただ恐ろしく感じていたそれが、今は、心地よくさえあった。
「……あきれた」
 背後から、少女の脱力した声が聞こえる。
「そんなこと、考えていたの?」
「大事なことだよ」
 照れ笑いとともに、少年はうなずく。
「そういうのがお好みだったら、ひとりで戦う?」
「いやごめん、それは無理。お願いだから、力を貸して」
「はいはい」
 少年をかすめ、弾丸が飛んだ。
 翼で受けるベリオロス――その表面に、爆炎が燈る。相手の防御を見越して、徹甲榴弾を放っていたのだ。
「全力で掩護してあげるから――行きなさい!」
「助かるよ……!」
 応え、少年は、さらに前へと踏み出した。
 怒り狂うベリオロスへと、恐れず、臆さず、真正面から、突撃する。
「いざ、尋常に――勝負!」
 ふたりの騎士は、長く鋭い牙を向け合い、心のままに激突した!


4


 ベリオロスの猛然たる噛みつきを、少年は辛うじて楯でいなした。
 ほとんど楯を顔面に叩きつけるようにして防いだのだ。ランス用の大楯ならではの技である。同時に、カウンターで槍を繰り出し、相手の腹部を浅く抉る。
 怒れる飛竜の翼がはばたく。
 飛翔か――いや、そうではない。広げた翼で、殴りつけてきた。バックステップでかわす――直後、踏み込みながらの反対側の翼が来る。楯でガード。ざあっ、と雪片を舞い散らせながら、衝撃に大きく押しやられる。
「でぁあッ!」
 反撃の一閃。敵は俊敏に回避。さらに、跳びかかってくる。サイドステップで避ける少年の真横を、轟然たる唸りが突き抜けていく。安心はできない――背後に振り向きざま、楯を掲げる。予想通り、尻尾の一撃が来た。受ける。止める。楯は砕けない!
 少女の散弾。ベリオロスの背後から、その鱗を穿っていく。激痛に悶え、振り返るベリオロス――その向う脛に、少年がランスを叩きつける。憤怒の眼がこちらを向いた。そうだ、それでいい。おまえの相手は僕がする。
 ベリオロスの胸元が膨れ上がる。少年はハッとして、大きく退避した。開かれる口元。純白にきらめく吐息が、まさしく吹雪そのものとなって襲ってくる。体内の氷結袋に吸い込んだ外気を急速冷凍させ、吐きつけてきたのだ。強烈な冷気を受けて、手がかじかんだ――動きが鈍る。
 跳び上がるベリオロス。翼をはばたかせ、わずかに滞空――そこからの突進が来る。この身体の重さでは、かわしようがない。なんとか楯を掲げて踏ん張ろうとするが、耐えきれるかどうか。
 横合いからの衝撃が、ベリオロスの顔面を襲った。
 この動きを予測していたのか、おそろしく正確な精度で少女のボウガンから放たれた徹甲榴弾が、巨獣の右頬に命中したのだ。爆発。衝撃。豪炎。炸裂。痛ましい悲鳴が上がる。白染めの空に、何かがくるくると舞った。ベリオロスの右の牙が、折れ飛んだのだ!
 白騎士の巨体が横倒しになる。こうなると、図体と重量が邪魔になる。起き上がろうとするものの、即座には不可能だ。
 好機。
「おおぉおおおぉおおおッ!」
 少年は、果敢なる突撃を見せた。
 ベリオロスの胸部に、ぐさりとランスが突き刺さる。ずぶずぶと埋まる――心臓を狙って。暴れる飛竜の腕が、少年を直撃――吹き飛ばす。浅い。ランスは抜けたが、数歩たたらを踏むだけで済ませる。
 ベリオロスは、ようやくにして起き上がった。
 白い胸元が、大量の血液でどす黒く染まりつつあった。心臓には達しなかったが、動脈は傷つけたはずだ。
 飛竜がうなる。わずかに後退――足を引きずっている。かと思うと、ベリオロスは翼を広げ、大きく天へと舞い始めた。
 追撃しようとした少年だったが、巻き起こる暴風に邪魔されて、なかなか進めない。少女の方はどうかと見ると――彼女は、リロードしたボウガンを即座に発射した。命中。赤い塗料が、竜の体表で弾け散る。攻撃用の弾丸ではない。逃げる相手を追うための、ペイント弾だ。
 ベリオロスは、よたつきながらも空を翔け、その場を離脱していく。血と塗料とが、大地に軌跡を刻んでいく。
 空を飛んで、こちらを振りきるつもりだろうが――あの手傷では、そう遠くまでは行けないはずだ。
 少年と少女はうなずき合って、武器を納め、走り始めた。

 時折、苦しげに翼を動かしながら、ベリオロスはよろよろと滑空していく。
 あまり高い高度を保てないようだ。ふたりは、地上からベリオロスを追跡し続けた。
 倒れた巨木を乗り越え、狭い岩肌の間を抜け、急な斜面を滑り落ち――
 必死に進みながらも、少年は、あることに気がついていた。
「ねえ。この道って――」
「ええ」
 後方から、少女が応じてくる。
「ギルドの地図には載ってないルートだわ。こんな道があったなんて――」
 そして、ついにベリオロスは着陸した。
 彼の身体がぎりぎり入るくらいの大きさをした洞窟の入り口が、口を開けている。その手前だった。警戒するように振り向いて――その視線が、近づいて来る少年たちを捉え、わずか、ぎょっとしたようだった。
「あいつの巣ということね……」
 少女がボウガンを構える。
「もう少し追い込めば、巣に逃げ込むはず。そこに追撃をかければ、空を飛んで逃げ回ることもないわ……」
「……いや」
 同じく、楯とランスを構えながら――少年は、小さくつぶやいた。
「あいつは……逃げない」
「え?」
 少年の眼差しは、身構えるベリオロスの姿に注がれている。
 その姿は、圧倒的なまでの覇気に満ちていた。
 これまで発していた憎悪や殺意、決意や闘志とはまた異なる――いや、それらがすべて、ひとつの魂のもとに依り合わさり、昇華されたような、壮絶なる覇気だ。
 細い眼が、ぎらぎらと輝く。
 傷ついた身体が、どっしりと大地を踏みしめる。
 片方を奪われた牙が、それでもなお凶悪に剥かれる。
 そのすべてが、ひとつの意志を表明しているのだと、少年には感じられた。
「覚悟≠セ……」
 唾を呑み込む。
「あいつは――覚悟を決めた! もう逃げない! 死にもの狂いで戦うつもりだ……!」
 咆哮が、その言葉を証明した。
 手傷を負う以前にも増して、強烈な咆哮だった。それは必死の咆哮であり、決死の咆哮であった。荒ぶ吹雪が熱を持ち、びりびりと脳を駆け抜けていくようだった。
「来るぞ……!」
 来た。
 突進。加速。なりふり構わぬがむしゃらさは、そのまま一個の脅威であった。少女の放つ散弾を、避けようとも、防ごうともしない。その勢いは止まらない。
「く……!」
 少女が横に逃れる。少年は逃げない。少女がぎょっとなる。少年は構わない。ベリオロスが迫る。視界を巨体が埋め尽くしていく。圧倒的震動。湧き上がる恐怖。そのすべてをねじ伏せる魂――誓いと誇りと願いと意志と。
 開かれる顎。呑まれれば命はない。牙を突き立てられても。わかっている。身体は逃げろと叫んでいるが、心は堪えろと吼えている。
 少年が逃げないのは、ある種の意地であり、真摯さだった。
(おまえが見せるすべてを貫く)
 受け止めて――打ち砕く。
(そのために……ここにいる!)
 少年は、楯を棄てた。
 槍の柄を両手で構え――ベリオロスへと、穂先を向けた。
 飛竜の咆哮。
 少年の絶叫。
 そのふたつが、間近でぶつかり――
 互いの牙の炸裂となって、爆ぜた。
「っ……!」
 少年は。
 おそるべき激痛を、己の意思だけで、ねじ伏せなければならなかった。
 巨体との衝突。真っ向から受け止めた。雪を削って後ずさりながら止めた。手にした槍は、ベリオロスの胸部に突き刺さっていた。先ほどとは違う。心臓を貫いている。代償は牙。叩き込まれた飛竜の牙が、少年の右肩の装甲を貫き、若い肉を貪っている。
 激甚なる停滞。
 だがそれも、一瞬のものに過ぎなかった。
 ベリオロスが左腕を振り上げた。心臓を破られて、なお動く。残されたすべての力を振り絞って。自分のすべてを受け止めた少年を、完膚なきまでに叩き殺すべく。
 少年は動かない。動けない。全身全霊を、今の姿勢に注いでいる。避けようとすれば、体勢が崩れ、踏ん張りが失われて、ベリオロスに踏み潰される。
 だからこそ、少女の弾丸が走った。
 振り上げられた左腕を直撃。徹甲榴弾の炎。撒き散らされる衝撃と火炎と鉄片が、腕と翼をずたずたに引き裂いていく。
 そこで――ようやく。
 ベリオロスは、動きを止めて――
 振り落ちる雪のごとく、静かに絶命した。

 少年は、槍を抜き、ベリオロスの亡骸から離れた。
 すぐさま少女が駆け寄ってきて、少年を殴りつけてから、右半身の装甲を剥がしていく。
「……なんでぶったの?」
 少女は答えず、不機嫌そうに傷口の手当を始めた。幸い、ベリオロスの牙は肩の骨を削るようにして滑っており、肺からは大きく外れていた。少女はいにしえの秘薬を塗りたくり、手際よく包帯を巻いていった。
 治療がひと段落ついたところで、少年は、ベリオロスを見上げた。
 巨体は倒れていなかった。立ったまま、事切れていた。
 その向こう側には、彼の巣であろう洞窟が見えている。
「……行ってみよう」
 立ち上がり、少年はつぶやいた。
「あそこに、たぶん……あいつの理由≠ェある」
 少女は、複雑そうな表情を見せ――
 小さく頭を振ってから、背後にじろりと視線をやった。
「あなたたちも来る?」
 その言葉に、びくりとして、小さな黒い影たちが物陰から跳び上がるのが見えた。

 メラルー白銀騎士団を連れて、ふたりはベリオロスの洞窟に足を踏み入れた。
 少女が松明を燈し、暗い内部を照らし出す。気温は低い。壁には霜が張っていた。
 洞窟はそれほど広くはなかった。少し歩けば、すぐに最奥に辿り着くことができた。
 そして、そこに、ベリオロスの理由≠ェあった。
「……これって」
 少女が、わずかに息を呑んだ。
 洞窟の最奥――その壁には、ひとつの影がもたれかかっていた。
 老人だ。
 皺だらけの表情は、穏やかに凍てついている。氷と霜が、その身体のほとんどを覆っていた。ぼろぼろの防寒具を着ているが、だとしても、こんな年齢で凍土を歩くなど、自殺志願としか思えない。
 当然のように、老人は死んでいる。ただ、彼の命の灯火がいつ消えたのかは、この寒さでは判別のしようがなかった。
 ただ、推測することは可能だった。
 少年は驚きに目を見開いて、その名をつぶやいていた。
「……ベツレム七世」
「え?」
「数十年前までこの辺を治めていた王国の、最後の王だ……」
 少年は、その名を知っていた。騎士になりたいとあこがれていたから。
 少女の相貌に、少年の驚愕が伝播していく。
「王は革命に追われ、蒸発したって聞いてる。その後の行方は誰も知らない……多額の賞金がかけられて、多くの人間が捜索したけど、未だに見つかってないんだ」
「まさか――」
「……そうか。それが、あいつの……」
 少年の胸に、理解と納得が染み入っていく。
「ハンターギルドが、モンスターを捕えて闘技場を運営しているように……当時、王国も、モンスターを捕えて飼い慣らしてたらしいんだ。ひょっとしたら――ベツレム七世は、あのベリオロスがまだ子供だった頃、いっしょにこの凍土に逃げ込んだのかもしれない。ベリオロスは、王を守るために、追っ手に牙を剥いたんだ」
「待って――」
 少女が、弱々しく頭を振った。
「でも、その人はもう死んでいるのよ!?」
「墓所を、守りたかったんだ」
 少女が絶句を見せた。
「あいつは、ここを墓所として……守ってたんだ。ここを見つけた奴らが、王の遺体を運び出そうとしたからかもしれないし、そうでなくても、近づく可能性がある者を見過ごせなかったのかもしれない。どちらにしても……あいつにとって、この場所は、守らなきゃいけない場所だったんだ」
「モンスターが――そんなことを――」
「あいつらにだって心がある。心があれば――誓いも生まれる」
 少年は、強く目を細めた。
「他のモンスターのために、凍土を守っていたわけじゃないけど――結果としてそうなっていたけど――それでも、あいつはやっぱり、騎士だったんだ。それも……生き方としての騎士ってだけじゃなくて。王に仕える、本物の・・・騎士だった……」
「ハンターを襲っていたのは……追っ手と区別がつかなかったから? 王を守るために、人間を襲わずにはいられなかった……」
 愕然とつぶやいて――少女は、わずかにうなずいた。
「……そう。そうなのね――わたしの時とは、逆なのね……」
 こぼれる言葉に、凍えるような悲しみがにじんでいた。
「だとしたら……やっぱり……彼も……」
 手が、自らの身体を守る、蒼い毛皮を強く握り締める。
「……あのぉ……」
 遠慮がちな声が、腰のあたりから響いた。
 見下ろすと、メラルーたちが、上目遣いにこちらを見つめていた。
「おふたりさんは、これから……どうするニャ?」
「どうするって……目的は達成したし、帰るけど」
「ここのこと……報告するニャ?」
 少年は、「あ」と声をもらした。
 結果として、ふたりはギルドも知らない場所を発見したことになる。このあたりをさらに捜索すれば、さまざまな天然素材を採集できる場所や、希少なモンスターの巣を発見できるかもしれない。ふたりがそれをしなくても、ギルドに場所だけ教えれば、結構な報奨金を受け取ることができる。
「……団長は、他のモンスターのこととか、ぜんぜん考えてなかったかもしれないけどニャ」
 騎士の鎧のメラルーは、神妙な面持ちで続けた。
「それでも、団長のがんばりが、みんなのためになっていたのは事実ですニャ」
「それに、さっきのあんたさんの考えが正しかったら、それこそ、ボクらのあこがれる心意気を持ってたってことだニャ」
「だから、できれば、団長のために、ここはそっとしておいてほしいんだニャ……」
「お願いしますニャア……」
 少年は、少女と顔を見合わせて――
 ともに、苦笑を浮かべた。
「……いいよ。この場所のことは、黙っておく」
「本当ですかニャ!?」
「この場所をギルドが知らなくっても、特に弊害はないしね。それに――僕も、あいつの遺志は尊重したい」
 ハンターを襲うベリオロスは倒さなければならなかったが――彼が守ろうとしたものを奪う必要は、どこにもなかった。
「それでいいでしょ?」
「ええ」
 振り返ると、少女は、小さく微笑んでいた。
 どこか、吹っ切れたような微笑みだった。

 手を振るメラルーたちに見送られながら、ふたりは、血色の軌跡を辿り、引き返していく。
 激戦を終え、傷も痛むし疲労も色濃いが――まさか、一瞬で街まで帰れるはずもない。吹雪の冷たさに堪えながら、一歩一歩、進むしかないのだった。
「はあ……」
 その事実に、少年はがっくりと肩を落とした。
「モドリ玉で、瞬間移動ができたらいいのに……」
「あれにそんな効力はないわ」
「モドリ玉って名前なのに……」
「単に、モンスターから逃げるのにうってつけの煙幕を張れるから、そんな名前になっているだけよ」
 たわいもない会話を交わしながら、ふたり、並んで歩いていく。
 すると――不意に、少女がぽつりとつぶやいた。
「あの時――最後の戦いで」
「ん?」
「あなたが逃げずに、真っ向からベリオロスを受け止めたのは……わたしを守るため?」
 問われ、少年は思わず頬をかいた。
「あー……まあ、うん……そんなに深く考えてたわけじゃなかったけど」
 覚悟を決めたベリオロスは、痛みも恐れも失くし、がむしゃらに挑んできていた。少年が激突を選択しなければ、暴れ回るベリオロスの攻撃は、少女に被害を及ぼしてもいただろう。
 少女は、緩やかに眉をひそめた。
「……最初に会った時も、そうだったわね」
「え? そうだっけ?」
「あなた――クルペッコとドスジャギィに囲まれながら、仲間のハンターを逃がすために踏み止まってたでしょう」
「まあ、そうだけど……」
 当時、いっしょに組んでいた仲間は、少年と同じくらいの実力の、駆け出しハンターたちだった。彼らは、複数の強大種と同時に戦うという状況に立たされ、パニックに陥っていた。だから少年は、彼らが退避する時間を稼ぐため、あえてクルペッコたちの注意を惹きつけて戦い――そこを、少女に助けられたのだ。
「あの時、君が来てくれなかったら死んでたかもね」
「かも、じゃなくて、まちがいなく死んでたわ」
 少女はあきれたように言った。
「今回だって、わたしが撃たなかったら、あなた今頃、生きてないわよ」
「そうだね」
「……軽く言うのね」
「いや、まあ……なんていうか……そういう時って、あまり深く考えてられる状況じゃないからさ。死ぬかもしれない、とは思うけど、絶対死ぬ、ってわけじゃないなら――やってみようって」
「長生きしないわよ」
「君が助けてくれれば、なんとかなるよ」
「人をあてにしないの」
 言いつつも、少女は不愉快そうな様子ではなかった。まったく、しょうがない――という感じの、どこか諦めたような表情だった。
 その横顔を見ていると、ふいに、気になることを思い出した。
「あ、そうだ。洞窟で言ってた、わたしの時と逆≠チてあれ、どういうこと?」
「ああ、あれね……」
 毛皮のフードからはみ出す長い髪を、ゆっくりとかき上げて――
「そうだったんだ、って認めるには重すぎるって思ってたけど……あんなものを見たら、認めざるを得ないっていうか。認めないと、彼の気持ちが無駄になるっていうか……」
「?」
「ゆっくり話すわ」
 穏やかに、微笑んだ。
「言っておくけど――秘密だからね」
「だいじょうぶ。騎士は約束を破らないからね」
「ばか」
 笑い合うふたりの足跡が、やまない吹雪に覆われていく。
 冷たく荒ぶ吹雪さえ――王の墓所へと至る手がかりを、秘して隠すにやぶさかではないと、そう言っているかのようだった。

――了